mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

菊地成孔を聴くについてのご連絡です!

3/8に開催予定の「菊地成孔を聴くvol.2」ですが、小規模な場所ですので、延期せずに行いたく思います。

 

お店には、アルコール消毒が用意あるとの事ですので、ご来店の際にはご利用ください。

 

私も、花粉症もありますので、マスクを着用させていただきます。

 

花粉症の症状がノドに出ると、空咳が出る場合があります。

 

あまりにひどい時には、処方薬で対応いたします。

 

健康に充分お気をつけてご参加ください。

 

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CD3枚組の超大作でございます!

Kamasi Washington『The Epic』

 

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風貌が『マグマ大使』のゴアに似ている(わからない人はググってね)、カマシ・ワシントン。

 

 

 

えー、膨大なパースナルは一切省略(笑)。


ネットで調べてください。


いやはや、大変でした(笑)。


CD3枚組(笑)!


しかも、どれもこれも演奏の密度がハンパではなく、聴くの大変ですよ!!


この並々ならぬガチ感は、やっぱり、ある人の事を思い出さざるを得ませんよね。


ジョン・コルトレインです。


必ずしも、彼の音楽そのものを全編にわたってやっているのではありませんが、カマシのテナー真面目ぶり、本気ぶりは、やはり、ジャズ界きっての大真面目な人であった、コルトレインを思い起こさざるを得ません。

 

かなり大掛かりな基本編成に、ストリングスがついて、更にコーラス隊までつくような巨大な編成の曲は、正直、私には、ついていけませんでした。

 

なぜ、あそこまで音で埋め尽くさなくてはいけないのか(基本、カマシは音を埋め尽くすような音作りを好んでいるようです)、私には余りよくわからないんです。

 

後期ロマン派の巨大な編成の交響曲は、昔とても好きだったのですが、そういうものとも違うので、どう捉えたらいいのかよくわかりませんので、コメントできません。


私がコレはイイぞ。と、すぐに反応できたのは、3枚目ですね。


コレは、前述の大音響が押し寄せて来ないのと、多分、カマシのジャズメンとしてのホンネはココに溜め込まれているよね。ということがわかったからです。


よって、この文章は、主に、3枚目の演奏についての考察となりますが、結論から言えば、この3枚目だけでも、この作品を聴く意義は十二分にあり、全く損はないのだ。という事なんです。


よく、グラスパーたちと彼を一緒くたに語る言説があるようですが、カマシとグラスパーは、ジャズに対する考え方が明らかに違いますね。


グラスパーは、ヒップホップとジャズを融合させるためには、アドリブ・ソロも切り捨てますが、カマシは、テナー奏者という事もあるのでしょう、基本は、熱血ソロ吹きまくりで、彼が融合を試みているソウルやゴスペルであり、リズムは、60年代のポリリズミックなアクースティック・ジャズを基調としています。


コルトレインと違うのは、蕩尽するようなすさまじいソロを時にカマシは取りますが、彼は常にアルバムとしてのコンセプトや楽曲のサウンドを、時には疑問を感じるものの、彼なりの考えをキチンと貫いている事ですね。


コルトレインは、やはり、昔からのジャズメンですから、最期までプレイで何とかしようとしているんですね。


3枚目の一曲目は、なんと、アフロビートです。


とはいえ、フェラ・クティや息子たちがやっているまんまではなく、どちらかというと、アフロビート風味のインスト曲なのですが、コレがなかなかよいです。


三曲目は、なんと、ドビュッシーピアノ曲『ベルガマスク組曲』から一番有名な「月の光」をソウルフルに仕立てたインストで、これまたカマシのアレンジの才能を感じる、素晴らしいインスト。


そして、男女のヴォーカルが、公民権運動のカリスマ的な指導者であった、マルカムXを讃える、「マルカムのテーマ」。


しかし、本作の締めくくりである、「ザ・メッセジ」こそが、カマシのホンネでしょう。


全編にわたってポリリズムを駆使した、ややパンキッシュに爆走するようなリズムを受けた、カマシのテナーは、まさにコルトレインが乗り移ったように一心不乱に吹きまくります。


やっぱり、ジャズが好きなものには、コレはたまらないものがありますね。


ある意味、この尋常ならざるテンションまで持っていくための儀式とて、これだけ長いアルバムになってしまったのではないのか?とすら思えます。


しかし、コルトレインは、晩年には、いきなり60分ノンストップみたいな、とんでもない演奏をライヴでホントにやっていた事と比べてしまうと、どうなのだろうか?と、思うところはありますが、コルトレインは明らかにこういう演奏で寿命を縮めていたとしか思えませんから、カマシのやり方は、ある意味、真っ当な人間のあり方なのかもしれません。


とにかく、この「ザ・メッセジ」という、タイトルも気合が入りまくった曲を聴くだけでも、本作を聴く意義はありますから、とにかく、いっぺん、この振り切れた演奏を聴いてみてください。



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本場を超える(?)、ガッツのあるB級バップアルバムの隠れ傑作です!

Réne Thomas, Jacques Pelzer『TPL(Thomas Pelzer Ltd)』(Vogel)

 


personnel;

Jacques Pelzer(as, fl,ss),

Réne Thomas(g),

Rein de Graaff(p),

Henk Haverhoek(b),

Jean Linzman(el-b), only B1

Han Benink(drms)

 


recorded at Reward Studios, Schelle, February 26, 1974

 

 

 

ベルギー出身の、どちらかというとB級なジャズメンの2人、ルネ・トーマとジャック・ペルゼルの双頭クインテット(B面1曲目はピアノが抜けてカルテット

2曲目は、サックス、ギター、ベイスの変則トリオ演奏です)の隠れた名作です。

 


まずもって特筆すべきは、ルネ・トーマのアメリカ人顔負けのガッツのあるギターですね。

 

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ジャケット裏に付く写っている、ルネ・トーマ。


ジャズギターは、彼の世代までは単にアンプで音を増幅しただけのクリアなトーンのエレキギターを弾いてますので、ロックギターみたいな歪みなどは全くないので、そういう意味でのガッツはありませんが、トーマの弦を弾く力の凄さがモロに伝わってくるような凄さなんですよ。


まあ、とても地味な世界ではあるのですのが、コレは、いろんなジャズギターと聴き比べてみると一聴瞭然でして、一音一音がものすごくクッキリとしていて、大きいです。


アメリカの本場でコレだけの音が出ているバップギター弾ける人ってそうはいないと思いますね。


そんなに小技が効いている感じではなく、むしろ、ぶっきらぼうな弾き方なんですけども、そこも含めてすごく魅力的なんですよね。

 


外国人が本場の人よりも本場っぽい事って時折ありますけども、トーマのギターの音にはそういう力強さがあります。


そして、同じベルギーのジャック・ペルゼルのアルトですよ。

 

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死神チェット・ベイカーと共演するジャック・ペルゼル。


この人は何か技術的に問題があるのか、音程が不安定で、トーンがアンマリ長続きしないような吹き方なんですよ。


あと、せっつくような独特のフレージング。


現在のサキソフォンの吹き方から考えたら相当に問題があると思いますけども、そこがなんともたまらないんです。


技術的な稚拙さが、彼独特の魅力になっているんです。


フルートは比較的普通に吹いているんですけど(フルートはちゃんとした技術で吹かないとそもそも音が鳴りませんので)、アルトのどこかアナーキーな魅力は、ジャッキー・マクリーンとかティナ・ブルックスのようなB級バップの味わいがあり、好きになるとトコトンじゃぶりつきたくなる旨味があります。


ドラムに、ICPオーケストラのドラマーとして、大変有名なハン・ベニンクがいるのも面白いですね。


ココでは、先輩たちを立てて、普通のジャズドラマーに徹していますね。


モダンジャズは信じがたいほどの超人、天才がゴロゴロいたわけですけども、ここでのトーマやペルゼルのような、決して、華々しい脚光を浴びたわけではないのですけども、ディープなジャズファンには決して忘れる事のできない味わいで勝負していた無数のジャズメンがおりまして、こういうミュージシャンが好きになってしまうと、ジャズからはなかなか離れられなくなってしまいますね。


残念ながら、レコードはベルギーのマイナーレーベルから出たっきりで再発された形跡はなく、CD化もされていません。


オリジナル盤を丹念に探すしか、聴く術が今のところないのが実情です。。

 

このレコードを持っているジャズ喫茶へ行ってみるのもいいかもしれません。

 

アメリカのジャズをある程度探求し尽くした人には、是非オススメいたします。

 

ルネ・トーマは仕事先のバルセロナで心臓発作のため、急死してしまい、コレは彼の最晩年の録音となりました。

 

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コニッツの隠れ名盤!

Lee Konitz『Worth While Konitz』(Atlantic)

 


Personnel ;

Lee Konitz (as,ts),

Jimmy Rowles or Sal Mosca(p),

Leroy Vinneger or Peter Ind(b),

Shelly Manne or Dick Scott(drms)

 


Recorded in September 26, New York and December 21, 1956, Los Angeles

 


アトランティックでの1956年のロサンジェレスとニューヨークでの録音アトランティック・レーベルでオクラ入りしていたものを、日本が独自に編集して発売したという、実は、日本盤がオリジナルという作品。


要するに、『Inside Hi-Fi』の制作に於いて、恐らくはコニッツの判断でオクラとなってしまったものと推測しますが、いやいやどうして演奏内容は相当なもの。

 


LP発売当初は、すべてニューヨーク録音とされていましたが、9月26日はロサンジェレスである事が判明し、参加メンバーも西海岸のジャズメンであった事がわかりました。

 


1956年12月21日のLAの録音は、

 


コニッツ(as)、ジミー・ロウルズ(p)、リロイ・ヴィネガー(b)、シェリー・マン(drms)

 


となり、1956年のNYでの録音は、

 


コニッツ(ts)、サル・モスカ(p)、ピーター・インド(b)、ディック・スコット(drms)

 

というのが正しい記録のようです。


コニッツは1956年のセッションから、ギンギンの演奏を選びとって、『Inside〜』を作り上げたんだと思いますが、本作の大半がニューヨークのいつものメンバーでなく、西海岸の名手たちと録音したからなのかはわかりませんが、かなりリラックスして演奏してますよね。


コニッツという人は、自分の内面をさらけ出す事がイヤというか、そういう行為をとても嫌っていたのでしょう、表面上は大変クールで無表情な演奏を信条としているようなところがあってそういう演奏もとても素晴らしいんですけども、こういう思わずホンネがポロッと出てしまった演奏が面白いんです。


鉄面皮な男のふとした時に見せる無邪気な笑顔というか、そういう和みが本作の良さなんですよね。


ちなみに、このままの形でCDになった事は今まで一度もなく、『The Complete Atlantic Recordings 1956』というCDの二枚組で、発売された事があります。


しかし、このCDには問題がありまして、曲順が録音順になってしまってまして、アルバムとしての完成度を損なってしまっています。


できれば、このLPの順番に直して聴いた方がよいかと思います。


若しくは、中古LPを丹念に探すという手もあります(比較的安価に入手可能です)。

 


とにかく、コニッツの隠れ名盤を聴かない手はございません!

 

 

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現在のテナー奏者に多大な影響を与えている、ジョーヘンの名盤!

Joe Henderson『The State of Tenor Live at The Village Vanguard』vol.1,2(Blue Note)

 


Personnel ;

Joe Henderson(ts),

Ron Carter(b), Al Foster(drms)

 


recorded at The Village Vanguard, New York City on November 14, 15 and 16, 1985

 

 

 

新生ブルーノートとともにジョー・ヘンダソンもブルーノートに復帰して2017年現在も存在する老舗ライブハウス「ヴィレッジ・ヴァンガード」(某雑貨店の名前はココから取られています)でのライヴ演奏のアルバムが2枚出ました。


後にCD化されるにあたって、マイケル・カスクーナによってLPでは入りきらなかった演奏をそれぞれ一曲ずつ最後に加わえた二枚組で発売されたりもしましたが、通して聴くにはちょっと長すぎるので、このオリジナルのLPの曲数で充分でしょう。


私はカスクーナの追加曲はカットしてプレイしてます。


テナー、ベイス、ドラムスというシンプルな編成は、「ヴィレッジ・ヴァンガード」の名前をジャズファンに有名にした、ソニー・ロリンズの名盤『Night at Village Vanguard』の編成を意識したのだと思います。

 


コレもブルーノートのアルバムです。

 


60年代にリーダー作やサイドメンとしてかなりの録音をしているジョーヘンですが、この頃の録音を聴くと、彼はものすごくゴリゴリ吹いているように聞こえるんですけども、ココでのライヴ演奏を聴くと、彼のサックスはとても繊細で音も決して大きいとは言えません。

 


実際に聴いた方も「予想以上に音が小さくて驚いた」と言ってますが、録音によってそんなに聴こえ方というのは変わるものなのでしょうか。

 


少なくとも、ココでのジョーヘンのスタイルに近い音を確認できるのは、1970年代の終わり頃なんです。

 


この頃、彼は教育者としての仕事がメインだったようで、録音がとてと少なくて、検証ができないんですどけども、どうもこの辺りで後の繊細なスタイルを作り上げたような気がしてならないんですが。

 


余談はその辺にしまして、本作はジョーヘンがテナーサックス奏者として、類まれな実力を持った人てある事がイヤという程わかるアルバムです。

 


ここまで切り詰めた編成だと、もうサックスが頑張る他なく、聴き手もサックスを聴く事になりますから、要するにコレは途轍もなく力量が問われるわけですね。

 


ロリンズのような天才でないと、なかなか名演というわけにはいきません。

 


事実、このトリオ編成はそんなにたくさんあるわけではなく、ジャズ史に残る名盤レベルだと前述のロリンズとリー・コニッツ『モウション』、オーネット・コールマン『At Golden Circle vol.1』くらいと言ってよいでしょう。

 


本作は、この名盤に加えても何の遜色のない演奏です。

 


とは言え、ジョーヘンの凄さというのは、ロリンズやオーネットのようなわかりやすいものではない事は断っておく必要があります。

 


豪快にして繊細なロリンズのテナーとオーネットのアルトという個性満点とは違って、ジョーヘンの奏法はとても地味でハッタリが一切ありません。

 


ボンヤリ聴いていると、モソモソしているだけに聴こえかねません。

 


彼の個性はその繊細さにあります。

 


恐ろしくコントロールされた音を実に丹念に積み上げて、ゆっくりと上り詰めていくようなソロは、コルトレインのそれのような激越なものではありませんが、遠赤外線でジワジワと温められていくような味わいで、やはりコレはコレで大変な実力がないとできません。

 


この禁欲的なまでに端正なテクニックは、実は現在活躍しているサックス奏者に殊の外影響を与えていて、その代表者がジョー・ロヴァーノやマーク・ターナーと言えるでしょう。

 


彼らのフワフワとした空中を舞うような吹き方は、ジョーヘンを前提としたものと考えられます。

 


その意味で、現在のジャズを解明するための最重要人物の一人一人が、このジョーヘンという事になり、この演奏を聴くことがその理解を進める上で必須なんですね。

 


その意味で、現在のジャズというのは、超個性派が暴れまわっていた時代とは明らかに一線を画してして、とても繊細な世界に入っているという事なんですね。

 


この価値基準を理解しないで、演奏を云々してもそれは的外れとなりかねない可能性があります。

 


と、大幅に話しが脱線している気がしますけども、本作を見事にしているのは、サイドのロン・カーターとアル・フォスターがあったればこそでして、3人の濃密なインプロがすごいタイプの演奏ではないんですけども(とは言え、「The Bead Game」なんかは、かなり獰猛な演奏ですけど)、人数が少なくてスペースが大きい中を実に適切な音数でサポートし、ジョーヘンのソロに注目させるように仕向けているのは、さすがです。

 


Youtubeなどを見ると、このトリオは結構ライヴをやっているようで、どれも相当な水準です。

 


ベイスがチャーリー・ヘイデンになったモントリオールでのライヴがヴァーヴから出てますが、コレまた大変な名演です。

 


ながら聴きではなかなか良さがわからないかも知れませんが、ジックリと聴くと深い感銘のある名盤。

 

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今更パーカー?という固定観念を見事に打ち砕いた傑作!

 V.A.『The Passion of Charlie Parker』(impulse!)

 


personnel;

Donny McCaslin(ts),

Craig Taborn(p, org, el-p),

Ben Monder(g),

Scott Colley(b),

Eric Harland(drms,vib),

Larry Grenadier(b),

Mark Giuliana(drms)

 


Guest Vocals;

Madeleine Peyroux,

Barbara Hannigan,

Gregory Porter,

Jeffrey Wright,

Luciana Souza,

Kurt Elling,

Kandace Springs,

Melody Gardot,

Camille Bertault

 

recorded at Blooklyn Studios, Blooklyn, NY

 

 

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真の天才、チャーリー・パーカー(1920-55)

 


不世出の天才、チャーリー・パーカーの没後60年を記念しながらも、結局、2016年に発売されたパーカー作品集です。


正直、もうパーカーから何が汲みとれるんだろう?という思い込みがありまして、発売当時は聴いてませんでしたが、参加メンバーを改めて見てみると、単なる懐古的なアルバムではないように思えましたので、聴いてみましたら、コレが予想を裏切る大変なよい出来なので、嬉しい驚きです。


全曲にわたってヴォーカルがゲストととして参加していて、パーカーの作曲した曲に歌詞をつけて歌っているんですが、グレゴリー・ポーターが参加しているのはわかりますけども、クラシックのソプラノ歌手、リサ・ハンニガンまで参加しているのが驚きですね。


恐らく、全体の音楽を監督しているのは、テナーサックスのドニー・マキャスリンでしょう。


彼の演奏が最も光っています。


パーカーは全盛期においては、後は野となれ山となれ的なイテマエ感覚でアナーキーに吹きまくる、驚異的な存在でしたが、本作はテナー、ピアノ、ギター、ベイス、ドラムスにヴォーカルというシンプルな編成で、その大半はミドルテンポで演奏され、パーカーの持つ熱狂や興奮とは程遠い演奏になっています。


ヴォーカルもそうなのですが、マキャスリンのテナーは、なんだかフニャフニャとしていて、まるで宙を漂っているみたいに吹いてるんです。


ジャズサックスと言えばブロウする魅力というのがあると思いますが、ほとんどそういう場面もありません(イザという時はちゃんとやってますけど)。


低音から高音まで恐ろしいまでにフラットでジャズっぽいアヤを意図的に避けています。


古くはウォーン・マーシュや先日取り上げたジョー・ヘンダーソンのテナーを思い起こさせますが、マキャスリンはコレを更に現代的な発展させたものと考えられます。


ウォーン・マーシュのテナーというのは、ジャズの歴史では正直傍流と考えられ、ちょっと変わった人というか、異端視されていたんですけども、その独特の魅力に気がついたのは、恐らくは、ジョー・ロヴァーノであり、その次はジョシュア・レドマンでしょう。


2人とも、空を舞うように、ブロウさせないサックスを信条としてます。


しかし、この2人のやっている事は正直言うとアンマリ面白いと思った事がないんです。

 

多分、時代がまだ「ジャズは燃え上がるようなガチンコ」を求めていたし、演奏者もそうでしたから、ロヴァーノやレドマンの意図するところが表現としてうまく結実していなかったのではないでしょうか。

 

しかし、その事を踏まえたマキャスリンは、そのフニャフニャ奏法をチャンと表現にむすびつけているですね。


それがパーカーみたいな瞬間湯沸かし器的なモノではなく、遠赤外線でジワジワとホットにしていくというジャズをパーカーをネタとして作り上げているのが、実に痛快です。


このマキャスリンの感覚をサイドメンやゲストの人々も明らかに共有していて、1つのコンセプトとして一貫性があるんです。


20世紀のジャズの巨人たちの豪胆さ豪快からは縁遠い世界ではありますが、もうそういうモノから新しいものは生まれ得ない事を、プロデューサーや参加メンバー全員が共有している事が本作を素晴らしい作品にしているのは間違いありません。


こういう感性は一体どこから来たのかな?と思うのですが、ジャズ内部で考えると、それは、ジョーヘンもそうですけども、ポール・モーシャンやビル・フリゼールなんかが持っていた、ジャズを空間的に構築している人たちの中にあったのではないでしょうか。


こういう動きは日本ではあまりキチンと伝えられていなかったような気がするので、昨今のJazz The New Chapterと呼ばれる一連のジャズ作品が何か唐突に出現したかのような印象がもたれるかもしれませんが、やはり、見えないところで着実に積み重ねられていて、ブラッド・メルダウやカート・ローゼンウィンケルなどの大物を筆頭に地道に積み上げられていたものが、2010年代に入ってようやく花開いたということがなのだと思います。


こういう繊細な感覚が、今日のジャズなのであって、ビバップの教祖であるチャーリー・パーカーを破壊的に壊すのではなく、無理なく今日的なコンセプトにスライドさせたというのは、実はアンマリ指摘されませんがかなりの痛快な出来事なのではないでしょうか?


パーカーは驚異的なテクニックで熱狂的な世界を作ると同時に根底に同じくらいのクールネスをたたえており、マキャスリンたちは、そのクールネスを表出させてみたんでしょう。


コレが歴史の継承という事なのだと思います。傑作!

 

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現役最高峰のテナー奏者がデイヴィッド・ボウイとの共演を経て作られた傑作。

 Donny McCaslin『Beyond Now』(AGATE)

 

personnel;

Donny McCaslin(ts, fl, al-fl, cl),

Jason Lindner(keys, p),

Tim Lefebre(el-b),

Mark Giuliana(drms),

Jeff Taylor(vo),

David Binney(synth, vo),

Nate Wood(g)


recorded at Systems Two, Blooklyn, NYC on April 2016

 

 

 

マリア・シュナイダー・オーケストラの重要メンバーにして、デイヴィット・ボウイの遺作『★』にも参加している、ドニー・マキャスリンがボウイ死去からそれほど時間を置かずに録音された作品。


メンバーを見ると、その主要参加者はそのまま『★』のメンバーですね。


で、聴きましたら、コレがもうとにかく滅法すごいのです!


多分、2016年に発売されたジャズアルバムでベスト3に確実に入りますね。


前回紹介した、チャーリー・パーカーのアルバムの事実上のリーダーと思われるドニーのテナーがえらく気に入ってしまって、彼のこの前に出したリーダー作はどんなものだろうと思いまして、聴いてみたんですけども、コッチはもう怒涛のように吹きまくってますね。

 

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「前作」というのは、コレのこと。「今更パーカーなの?」という固定観念を打ち砕いた大傑作です!

 


コンセプトによって吹き方をかなり変えることができる人です。


時にこういう人は器用貧乏になりがちですけど、彼は表現とテクニックがちゃんと結びついていて、曲芸にはなりません。


吹きまくってフリー寸前までいく時があるんですが、どこかクールで、あの全身が火だるまになるような演奏とは明らかに違います。


敢えて言ってしまうと、マイケル・ブレッカーの流れは組んでいるんですが、マイケルの奏法は超絶ながら、それはジャズやフュージョンが生み出したテクニックの集大成みたいなもので、その枠を超える事はないんです。


しかし、マキャスリン演奏はほとんどジャズのイディオムではないですね。


そういうのものを意図的に避けています。


ですから、ブレッカーのテクニックをベイスなしつつも、その楽曲やフレージングは全く似てないですね。


ブレッカーはメカニカルでどこか冷たく無闇に饒舌に過ぎるところが、特に若い頃はありましたけども、マキャスリンは吹きまくってもそんなに過剰な感じはないですね。


サイドメンもすごいです。

 

アルバム全体の雰囲気を見事に作り出しているのは、明らかにジェイソン・リンドリーで、従来のジャズのように弾きまくりで圧倒する事はあまりなく、ボンヤリ聴いていると気がつかなきいほどに全体に溶け込んでいて、どちらかというと、空気感みたいなものを変える事に集中し、マキャスリンのソロを聴かせることに、貢献しています。


絶妙は瞬間にピアノを弾いたりもします。

 

一見地味ですが、演奏面での最大の功労者は彼ではないでしょうか。

 

いわゆるエレクトロ・ミュージックの発想なんでしょうけども、単なる思いつきレベルでは到底ありません。

 

そして、なんといっても人力ドラムンベースである、マーク・ジュリアナのドラムが演奏を煽りまくって聴き手の血を沸騰される事この上なし。


このアルバムの人選は恐らくはマキャスリンですから、もうそれでかなりの部分勝ちなのでしょうけど(恐らくは、ボウイとの録音の中で構想が膨らんだものと推測します)、このアルバムを名盤にしているもう一人の重要人物は、プロデューサーのデイヴィット・ビニーでしょう。


演奏でも何曲か参加してますが、彼のメイン楽器である、アルトサックスは吹いてません。


このところのマキャスリンのアルバムのプロデューサーはなぜかビニーなのですが、ビニーは大変優れたサックス奏者であり、マリア・シュナイダーのもとではリードセクションの同僚である彼がサックスではなく、プロデューサーにほぼ徹しているというところが、オレがオレがの世界になりがちなジャズの世界が明らかに変わりつつあり、むしろ、演奏しない事で自分の表現は可能である事に、気がついたのでしょう(実はマイルスが実践してきた事ではあるのですが)。


かつてのジャズアルバムにとても欠けていたのは、優秀なプロデューサーだったわけですが、ブルーノートが近年復活しているのは、明らかに優秀なプロデューサーを複数抱えているからですね(何しろ、社長のドン・ウォズがもともと素晴らしいプロデューサーです)。


このアルバムは、マキャスリンにとってもビニーにとっても生涯の中でとても重要な作品となったのではないでしょうか。


それにしても、こういうミュージシャンを最後に起用するボウイの嗅覚には改めて恐れ入る次第です。


ボウイ追悼のためでしょうか、彼の代表曲「ワルシャワ」が演奏されています。

 

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