2018年は結局一度も行うことができませんでしたが、昨年末にトントン拍子で話しが進み、2/3の節分の日に4回目を行うことができました。
内田吐夢『宮本武蔵』五部作は、必ず最初の5分間は前回までのあらすじのダイジェストがついていましたので、間が空いていた事もあり、これににならいまして、最初に3回目までのダイジェストを行いました。
しかし、コレが予想以上に時間をとってしまい、予定よりも30分もオーバーしてしまいましたが、「一乗寺の決闘」は大変充実した内容となりました。
やった事はコレ以上ないくらいにシンプルで、『The Popular Duke Ellington 』の曲順のまま、録音順に聴き比べていこうというものでして、さすがにすべて聴いていくと、時間がとても足りないので、いくつかは割愛しながら聴いていきましたが、コレが予想以上に面白かったですね。
脳内シミュレーションの通り、最初の3曲しかできませんでしたが、エリントンがかなり頑張ってモダンジャズ化していた1950年代のある意味極点とも言える、1960年の「Perdido」の演奏は、エリントンとは思えないほどのBPMでホーンセクションが、明らかにパーカーの曲の引用をしたアンサンブルを吹きまくって、いつまでもテーマを吹かないという(ビバップで、最初にアドリブを吹いてテーマをなかなか吹かないという演奏をよくやるのですが、エリントンはそれを譜面化してホーンセクションにやらせているんですね)、なかなか過激な事をやってまして、この後のホーンセクションが終始白人のビックバンドがやったとした思えないようなキンキンのモダンな(しかし、ソロはプレモダン)演奏が繰り広げられるという、恐るべき演奏がやはり、これが一番衝撃/笑撃がありましね。
モダンジャズとは適度に距離を置いてきた印象のあるエリントンですが、実際はゆっくりとモダン化していたんですね。
エリントンは、マイルスと同じく、とても慎重で保守的な人だったのでした。
マイルスは、あたかも劇的に変わったように見せるのがとてもうまかったんですけども、エリントンは文字通りゆっくりと進めていたので、変化している事に気がつかれにくいんですよね。
それを定番曲の再録音ででいろいろと試していたという事が、3曲を聴いていくだけでも見えてきました。
こういうのは、固めて聴かないと絶対にわからないですね。
余談ですが、Take The “A” Trainの1952年の演奏は、後に、美空ひばりがシャープ&フラッツと共演した、1955年のアルバムで、引用されてもいます。
次回は、A面のMood Indigo、Black and Tan Fantsyから再開し、B面は新曲のThe Twitchをこの時の録音でアルバムから外されたCaravanに差し替えて、最後のCreole Love Callまで目指していきます。