mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

今更パーカー?という固定観念を見事に打ち砕いた傑作!

 V.A.『The Passion of Charlie Parker』(impulse!)

 


personnel;

Donny McCaslin(ts),

Craig Taborn(p, org, el-p),

Ben Monder(g),

Scott Colley(b),

Eric Harland(drms,vib),

Larry Grenadier(b),

Mark Giuliana(drms)

 


Guest Vocals;

Madeleine Peyroux,

Barbara Hannigan,

Gregory Porter,

Jeffrey Wright,

Luciana Souza,

Kurt Elling,

Kandace Springs,

Melody Gardot,

Camille Bertault

 

recorded at Blooklyn Studios, Blooklyn, NY

 

 

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真の天才、チャーリー・パーカー(1920-55)

 


不世出の天才、チャーリー・パーカーの没後60年を記念しながらも、結局、2016年に発売されたパーカー作品集です。


正直、もうパーカーから何が汲みとれるんだろう?という思い込みがありまして、発売当時は聴いてませんでしたが、参加メンバーを改めて見てみると、単なる懐古的なアルバムではないように思えましたので、聴いてみましたら、コレが予想を裏切る大変なよい出来なので、嬉しい驚きです。


全曲にわたってヴォーカルがゲストととして参加していて、パーカーの作曲した曲に歌詞をつけて歌っているんですが、グレゴリー・ポーターが参加しているのはわかりますけども、クラシックのソプラノ歌手、リサ・ハンニガンまで参加しているのが驚きですね。


恐らく、全体の音楽を監督しているのは、テナーサックスのドニー・マキャスリンでしょう。


彼の演奏が最も光っています。


パーカーは全盛期においては、後は野となれ山となれ的なイテマエ感覚でアナーキーに吹きまくる、驚異的な存在でしたが、本作はテナー、ピアノ、ギター、ベイス、ドラムスにヴォーカルというシンプルな編成で、その大半はミドルテンポで演奏され、パーカーの持つ熱狂や興奮とは程遠い演奏になっています。


ヴォーカルもそうなのですが、マキャスリンのテナーは、なんだかフニャフニャとしていて、まるで宙を漂っているみたいに吹いてるんです。


ジャズサックスと言えばブロウする魅力というのがあると思いますが、ほとんどそういう場面もありません(イザという時はちゃんとやってますけど)。


低音から高音まで恐ろしいまでにフラットでジャズっぽいアヤを意図的に避けています。


古くはウォーン・マーシュや先日取り上げたジョー・ヘンダーソンのテナーを思い起こさせますが、マキャスリンはコレを更に現代的な発展させたものと考えられます。


ウォーン・マーシュのテナーというのは、ジャズの歴史では正直傍流と考えられ、ちょっと変わった人というか、異端視されていたんですけども、その独特の魅力に気がついたのは、恐らくは、ジョー・ロヴァーノであり、その次はジョシュア・レドマンでしょう。


2人とも、空を舞うように、ブロウさせないサックスを信条としてます。


しかし、この2人のやっている事は正直言うとアンマリ面白いと思った事がないんです。

 

多分、時代がまだ「ジャズは燃え上がるようなガチンコ」を求めていたし、演奏者もそうでしたから、ロヴァーノやレドマンの意図するところが表現としてうまく結実していなかったのではないでしょうか。

 

しかし、その事を踏まえたマキャスリンは、そのフニャフニャ奏法をチャンと表現にむすびつけているですね。


それがパーカーみたいな瞬間湯沸かし器的なモノではなく、遠赤外線でジワジワとホットにしていくというジャズをパーカーをネタとして作り上げているのが、実に痛快です。


このマキャスリンの感覚をサイドメンやゲストの人々も明らかに共有していて、1つのコンセプトとして一貫性があるんです。


20世紀のジャズの巨人たちの豪胆さ豪快からは縁遠い世界ではありますが、もうそういうモノから新しいものは生まれ得ない事を、プロデューサーや参加メンバー全員が共有している事が本作を素晴らしい作品にしているのは間違いありません。


こういう感性は一体どこから来たのかな?と思うのですが、ジャズ内部で考えると、それは、ジョーヘンもそうですけども、ポール・モーシャンやビル・フリゼールなんかが持っていた、ジャズを空間的に構築している人たちの中にあったのではないでしょうか。


こういう動きは日本ではあまりキチンと伝えられていなかったような気がするので、昨今のJazz The New Chapterと呼ばれる一連のジャズ作品が何か唐突に出現したかのような印象がもたれるかもしれませんが、やはり、見えないところで着実に積み重ねられていて、ブラッド・メルダウやカート・ローゼンウィンケルなどの大物を筆頭に地道に積み上げられていたものが、2010年代に入ってようやく花開いたということがなのだと思います。


こういう繊細な感覚が、今日のジャズなのであって、ビバップの教祖であるチャーリー・パーカーを破壊的に壊すのではなく、無理なく今日的なコンセプトにスライドさせたというのは、実はアンマリ指摘されませんがかなりの痛快な出来事なのではないでしょうか?


パーカーは驚異的なテクニックで熱狂的な世界を作ると同時に根底に同じくらいのクールネスをたたえており、マキャスリンたちは、そのクールネスを表出させてみたんでしょう。


コレが歴史の継承という事なのだと思います。傑作!

 

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