mclean-chanceの「Love Cry」

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コニッツの極限のストイシズム!

Lee Konitz『Motion』

 

Personnel;

Lee Konitz(as), Sonny Dallas(b), 

Elvin Jones(drms)

Recorded at Olmsted Sound Studios, New York in August 29, 1961

 

 

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最近のコニッツです。

 

 


2019年現在も現役という、アルトサックス奏者コニッツが1961年に録音した、超がつく名演。

 


このアルバムの演奏の変わっているところは、なんと言ってもピアノがいません。

 


トコトンまで、激越な世界を追及していったジョン・コルトレインは、意外にも、ピアノが入っていない演奏はほぼありません。

 

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ジョン・コルトレイン。

 

ピアノがいる事で、ホーン奏者は自分が今どこを演奏しているのかがわかるようになっているんですが、コルトレインはそういう意味で案外保守的なんですよね。

 


コニッツはコルトレインが追及した激越さとは真逆の過激さに向かっていて、それは、トコトンまで逃げ場がない所に自分を追い詰めたところで出てくる音は一体なんなのか?というとこなんですね。

 


まず、ピアノを外してしまう。

 


ホーン奏者はある意味、演奏の自由度が増したと言えますけども、ピアノにソロを回して、小休止する事もできないので、自分がソロを取り続けるしかありません。

 


オーネット・コールマンの初期のカルテットにピアノがいないのは、その自由度をトコトン拡大していこうという意図があり、それがフリージャズの考え方に多大な影響を与えました。

 

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2015年に惜しくも亡くなったオーネット・コールマン

 

コニッツは、オーネットのような、闇雲に突っ込んでやろうという考えとも正反対で、むしろ、ルールを厳しくしている方向に向かいます。

 


コルトレインのインパクトというは、あのテナーサックスやソプラノサックスの音色のインパクトですよね。

 


もう、それ自体がただならぬ緊迫感を与えますが、コニッツのアルトは、なんとも素っ気ないというか、愛想がなさすぎる。

 


オーネットのアルトはもうアウトなのに、メロディアスなので、やたらと快楽的なのと真逆で、ストイックです。

 


演奏面でのもう1つの追い込みは、ドラムズにエルヴィン・ジョウンズを起用している事です。

 

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エルヴィン・ジョーンズは本作の最大の功労者です。

 

恐らく、この2人は共演はした事がないんだと思うのですけども、エルヴィンはこの頃からコルトレインのカルテットのメンバーなんですね。

 


コルトレインの音楽がとんでもない所にまで高められた所の功績のかなりの部分は、エルヴィンのドラミングがあったればこそですけども、そういう猛者を敢えてサイドに加える事で、ホントに逃げ場をなくしていこうとしているんですね。

 


実際、エルヴィンの演奏は容赦がない。

 


また、すべてスタンダードを演奏しているはずなのに、何を演奏しているのか、初めて聴いたら、「はあ?」と言ってしまいそうなくらいに、なんだかはぐらかされているような感じです。

 


よく聴くと、演奏の最後になんとなく、それっぽいフレーズが聞こえるので、間違いなくその曲を演じているのがわかるのですが(笑)、あとはメロディをほとんど解体してしまったようなフレーズと、アドリブソロしかないので、ものすごくとっつきにくく、理解しづらいです。

 


私も初めて聴いた時は、全く良さがわからなかった。

 


というか、コニッツは、「わからない奴はわからなくてもいい」という態度で演奏してますよね。

 


モダンジャズは多分にそういうところがある音楽ですけども、ここまで聴き手に背を向けて演奏した例というは、果たしてあるのだろうかと(笑)。

 


コルトレインやオーネットからは、やっぱり、わかって欲しいという気持ちが目一杯伝わってきますよ、なんだかんだで。

 


ですので、このアルバムはハッキリ言いますと、万人向けではないし、初心者がいきなり聴いてわかるものではないです。

 


しかし、この冷血を装ったコニッツの演奏の背後には、アドリブに命を賭けている彼の情熱には気がつくと、俄然、この演奏の魅力が理解できてくるんですね。

 


コニッツの演奏をよくよく聴くと、とても危なっかしいところが結構あって、ホントにその場で自分を追い込んでギリギリで演奏しているのがわかります。

 


LPのB面の一曲目にあたる、「You’d be so nice to come home to」を聴くと、3分50秒辺りで唐突にコニッツの演奏がパッと途切れて、ベイスとドラムになるんですが、別にドラムソロがそこから始まるわけでもない、なんとも中途半端な時間がしばし続いて、思い出したようにコニッツがソロを再開するところがあります。

 


明らかに、コニッツはフレーズが出てこなくなってしまい、ベイスとドラムズが「おっ、どうするんだコレ」という状態になっているんだと思うんです。

 


他の所ではちゃんとエルヴィンのソロがスムーズに始まっているので、明らかにここのコニッツの沈黙は不自然ですけども、この演奏にコニッツはOKを出しているんですよね。

 


出てしまった音はもうしょうがない。それがアドリブなのだ。という彼の覚悟であり、それ以外のところがすごくいい演奏だから、コレでいいという考えなのでしょう。

 


その後、エルヴィンとコニッツは録音上の共演は多分ないと思いますが、この一期一会とも言える、トコトンまで、アドリブを追及した本作の素晴らしさがわかった時、ジャズファンの初心者を卒業していると言っても過言ではない、ジャズ史に残る、畢生の名演です。

 

 

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     本作が穏健なヴァーヴから出たのも驚きです。