Donny McCaslin『Beyond Now』(AGATE)
personnel;
Donny McCaslin(ts, fl, al-fl, cl),
Jason Lindner(keys, p),
Tim Lefebre(el-b),
Mark Giuliana(drms),
Jeff Taylor(vo),
David Binney(synth, vo),
Nate Wood(g)
recorded at Systems Two, Blooklyn, NYC on April 2016
マリア・シュナイダー・オーケストラの重要メンバーにして、デイヴィット・ボウイの遺作『★』にも参加している、ドニー・マキャスリンがボウイ死去からそれほど時間を置かずに録音された作品。
メンバーを見ると、その主要参加者はそのまま『★』のメンバーですね。
で、聴きましたら、コレがもうとにかく滅法すごいのです!
多分、2016年に発売されたジャズアルバムでベスト3に確実に入りますね。
前回紹介した、チャーリー・パーカーのアルバムの事実上のリーダーと思われるドニーのテナーがえらく気に入ってしまって、彼のこの前に出したリーダー作はどんなものだろうと思いまして、聴いてみたんですけども、コッチはもう怒涛のように吹きまくってますね。
「前作」というのは、コレのこと。「今更パーカーなの?」という固定観念を打ち砕いた大傑作です!
コンセプトによって吹き方をかなり変えることができる人です。
時にこういう人は器用貧乏になりがちですけど、彼は表現とテクニックがちゃんと結びついていて、曲芸にはなりません。
吹きまくってフリー寸前までいく時があるんですが、どこかクールで、あの全身が火だるまになるような演奏とは明らかに違います。
敢えて言ってしまうと、マイケル・ブレッカーの流れは組んでいるんですが、マイケルの奏法は超絶ながら、それはジャズやフュージョンが生み出したテクニックの集大成みたいなもので、その枠を超える事はないんです。
しかし、マキャスリン演奏はほとんどジャズのイディオムではないですね。
そういうのものを意図的に避けています。
ですから、ブレッカーのテクニックをベイスなしつつも、その楽曲やフレージングは全く似てないですね。
ブレッカーはメカニカルでどこか冷たく無闇に饒舌に過ぎるところが、特に若い頃はありましたけども、マキャスリンは吹きまくってもそんなに過剰な感じはないですね。
サイドメンもすごいです。
アルバム全体の雰囲気を見事に作り出しているのは、明らかにジェイソン・リンドリーで、従来のジャズのように弾きまくりで圧倒する事はあまりなく、ボンヤリ聴いていると気がつかなきいほどに全体に溶け込んでいて、どちらかというと、空気感みたいなものを変える事に集中し、マキャスリンのソロを聴かせることに、貢献しています。
絶妙は瞬間にピアノを弾いたりもします。
一見地味ですが、演奏面での最大の功労者は彼ではないでしょうか。
いわゆるエレクトロ・ミュージックの発想なんでしょうけども、単なる思いつきレベルでは到底ありません。
そして、なんといっても人力ドラムンベースである、マーク・ジュリアナのドラムが演奏を煽りまくって聴き手の血を沸騰される事この上なし。
このアルバムの人選は恐らくはマキャスリンですから、もうそれでかなりの部分勝ちなのでしょうけど(恐らくは、ボウイとの録音の中で構想が膨らんだものと推測します)、このアルバムを名盤にしているもう一人の重要人物は、プロデューサーのデイヴィット・ビニーでしょう。
演奏でも何曲か参加してますが、彼のメイン楽器である、アルトサックスは吹いてません。
このところのマキャスリンのアルバムのプロデューサーはなぜかビニーなのですが、ビニーは大変優れたサックス奏者であり、マリア・シュナイダーのもとではリードセクションの同僚である彼がサックスではなく、プロデューサーにほぼ徹しているというところが、オレがオレがの世界になりがちなジャズの世界が明らかに変わりつつあり、むしろ、演奏しない事で自分の表現は可能である事に、気がついたのでしょう(実はマイルスが実践してきた事ではあるのですが)。
かつてのジャズアルバムにとても欠けていたのは、優秀なプロデューサーだったわけですが、ブルーノートが近年復活しているのは、明らかに優秀なプロデューサーを複数抱えているからですね(何しろ、社長のドン・ウォズがもともと素晴らしいプロデューサーです)。
このアルバムは、マキャスリンにとってもビニーにとっても生涯の中でとても重要な作品となったのではないでしょうか。
それにしても、こういうミュージシャンを最後に起用するボウイの嗅覚には改めて恐れ入る次第です。
ボウイ追悼のためでしょうか、彼の代表曲「ワルシャワ」が演奏されています。