mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

ジョージ・ラッセルはトリターノとマイルスを結ぶ人だったのではないか?

George Russell Smalltet『The Jazz Workshop』(RCASony)

 

Personnel;
Art Farmer(tp), Hal McKusick(as, fl),

Barry Garbrath(g), Bill Evans(p),

Milt Hinton or Teddy Kotick(b),

Joe Harris or Paul Motian or

Osie Johnson(drms),


George Russell(arrenger, chromatic drums),

 

Recorded at RCA Studios, NYC, March 31, October 17, December 21, 1956

 



ジョージ・ラッセルの初リーダー作。


彼の提唱した音楽理論は、マイルスがモードジャズに移行していくのに役立ったとか、その辺の経緯はとりあえず差し置いて。

 

f:id:mclean_chance:20201122220056j:image

作編曲、ジョージ・ラッセル。一曲のみ、特殊にチューニングしたパーカッションで演奏に参加。

 


まずコレは音楽であるから、聴いてナンボでありまして、面白いなくては仕方がない。


問題は彼の音楽が面白いのか?という事が私にとっては第一義ですが、結論からするとコレはとても面白い。

 

まず、参加メンバーを見ていたいただきたいが、当時の名手ばかりが揃っている。


とりわけすごいのは、まだ無名だったビル・エヴァンスのソロが何と言っても素晴らしい。

 

f:id:mclean_chance:20201122215928j:image

あまりにも数多くの名演を残した、ビル・エヴァンス

 

とかくリリシストとして語られてしまうエヴァンスだが、ここでのパウエル派を基本としながらもトリスターノを思わせる硬質なタッチのピアノソロは、彼の本質は実に硬派なものであり、コレを聴いてから、かの有名なスコット・ラファーロとのトリオの4枚を改めて聴くと、彼の硬派な部分がよく見えてくるのではないか。

 

デビュー作にして、全曲が自作曲であるラッセルの曲はすべて彼の編曲が込められ、実斬新なリズムに、リー・コニッツを思わせるハル・マキュージックのアルトに端正でまろやかなアート・ファーマーという対比が素晴らしいフロントが、複雑に絡み合いながら、しかしクールな感触を維持している。


曲によってベイスとドラムが交代しているが、それによる音楽的な違いはさほど大きくないが(単なるスケジュールの問題か)、後にエヴァンスがトリオを組む事になる、ポール・モーシャンと出会っているのはとても大きいかも。


ラッセルの縛りはかなり強いものと思われるがこの中で自由闊達なソロを最も取っているのは、エヴァンスであり、彼はラッセルの理論がカラダで理解できているという事なのでだろう。


そんなエヴァンスをマイルス・デイヴィスが自らのコンボに招いたのは、恐らくは自分のコンボにラッセルの考え方を取り入れた演奏をしていこうとしていたのだろうと考えるのは多分自然であり、そうして作り上げた『Kind of Blue』は、マイルスの『自叙伝』では「失敗作」と述べている事は、日本の多くのジャズファンは無視しているが、恐らくはラッセルの考え方を演奏としてうまく反映できなかったからではないかと考えられる。

 

f:id:mclean_chance:20201122220327j:image

言わずと知れた、帝王マイルス。『Kind of Blue』は、失敗というの言い過ぎで、過渡的な作品と見るべきだろう。しかし、このアルバムがモダンジャズ最大の売り上げなのである。

 


というのも、このアルバムを聴いてその複雑なアンサンブルとともに耳につくのは、ものすごく凝ったリズムではなかろうか。


マイルスが失敗と考えたのも、このリズムがあまり躍動的ではなく、全体としてとてもスタティックになってしまった事だと思う。


というのも、その後のメンバーチェンジによって、1964年には第二期黄金クインテットと言われるメンバーに固定して行っていた演奏はリズムがアグレッシブなのにも関わらず、根底が非常にクールであったからである。


マイルスという人は巷間思われているよりも遥かに保守的で慎重な人で、ラッセルの考え方を取りいえるのもすぐには行わず、段階を置き、しかもグループとしてのサウンドとして作り上げていこうという傾向が強い。


リズムを急激に改変する事は音楽が根底から変わってしまう事であり、そこへのアプローチがまだ『Kind of Blue』では不徹底だった。


しかし、マイルスの構想にピッタリなピアノとドラムス(ハンコック、ウィリアムズ)が見つかり、このコンセプトでソロを取る最適なサックス(ショーター)が最終的に加入し、ようやくラッセルの理論とマイルスの構想は具現化したのだと。


そう考えると、ラッセルという人がジャズに貢献したものは実はとてつもないんですけども、いかんせん作品が多くなく、ラッセル本人も理論書として提示したものなら完成を最後まで示さないまま、2009年に亡くなってしまったので、どうしてもカルト的な胡散臭さばかりが先行してしまうのはある意味致し方ないかもしれない。

 

しかし、ここでの演奏を虚心坦懐に聴けば、名手たちのソロが阻害されるような縛りもなく、むしろ、エヴァンスの才能を引き伸ばしてすらいるラッセルの作編曲の能力は、やはり並外れていたと言わざるを得ない。


ここではまだリーダーとして無名であるので、小編成での演奏にならざるを得ないですが、ここで実力を証明し、一般的な人気よりもミュージシャンたちにかなりの衝撃を与えたであろう彼はやがて大編成でラッセルの実践はニューイングランド音楽院での教育との両輪で進められ行くことになるその第一歩が刻まれた快作。

 

f:id:mclean_chance:20201122220635j:image