mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

カークの早すぎる晩年の傑作!

Rahsaan Roland Kirk

『The Return of The 5000lb. Man』(Werner)

 

personnel;
Rahsaan Roland Kirk(ts, fl, harmonica, stritch, vo, arr),

Hilton Ruiz or Hank Jones(p),

Buster Williams or Mattathias Person(b),

Charles Persip or Bill Carney or

Jerry Griffin(drms),

Joe Habao Texidor(perc),


Hasard Johnson(tuba),

Romeo Panque(bs, oboe),

Fred Moore(washboard),

Trudy Pitts(org), Arthur Jenkins(keys),

William Butler(g),

Warren Smith(perc),


Betty Stewart(recitation),


Maeretha Stewart(vo),


Hilda Harris,

Aderienne Alber,

Francine Carroll,

Milton Grayson, Randy Peyton,

Arthur Williams(backing vo),


Frank Foster(arr)

 

recorded in summer and autumn(?),  1975

 

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説明不要の大天才、ローランド・カーク


1975年11月に、ローランド・カーク脳卒中を起こし、右半身不随となります。

 

本作の録音年代は未だに確定できませんが、1975年であり、カークが倒れる前のものと思われます。


アルバム1枚半分の録音は病気からの再起以後の1976年に発表され、日本盤のタイトルはも『天才ローランド・カークの復活』と名付けられまして、当時、かなり売れたようです。


カークは1969年から「ラサーン・ローランド・カーク」と名乗るようになり、本作も「ラサーン」と表記されています。


アトランティックからメジャーレコード会社ワーナーに移籍し、パーソネルの膨大さからわかるように、かなりの日数と予算をかけて録音していたのがわかります。


聴いてすぐわかるのは、アトランティック時代とは明らかに作風が変わっている事です。


音がまろやかになったし、なんと、彼のトレードマークの楽器である、マンゼロを演奏していません。


本作はカークのトレードマークである、あの3管同時奏法がないんですね。


しかも、コーラスがついたりと、サウンドが明らかに硬派ではなくなっています。


しかし、それはカークの音楽的軟化を意味するものではないと思います。


「Theme for The Eulipions」の泣きのテナーの音の深さはむしろかつてよりも表現として深まっているのではないでしょうか。


また、ウォッシュボードが入った「Sweet Georgia Brown」の、まるで幼い頃の記憶を思い出しているかのような演奏。


ミンガスの名曲「Goodbye Pork Pie Hat」でのヴォーカルとテナーサックスの多重録音。


しかし、最後のジョン・コルトレインの「Giant Steps」でのコルトレインとは全く異なるアプローチのテナー(高速タンギングによる三連符の多用など)は、やはり、あの過激なカークがちゃんと存在していて、この表現をカークが敢えて選択しているのがわかります。


いくつかのグループを作ってのセッションをかなりの日数にわたって録音しているものと推測されますが、これまでのカークは、よくも悪くもワンマンな音楽であり、要するに彼が圧倒的な演奏をしていれば、あとのメンバーがどうこうというのは、それほど重要ではありませんでした。


よって、カークについて書くとほとんど彼について書くことがほとんどであり、サイドメンについて触れる事はほとんどありませんでした。


しかしながら、本作は明らかにトータルサウンドを志向しており、そのために多くのミュージシャンが起用されており、遂にはフランク・フォスターによるアレンジ(主にコーラスのアレンジと思われます)まで起用しています。


その意味で、本作は「モダンジャズ度」は相当下がったといえます。


しかしながら、それを放棄してまでもカークが追求しようとしたのは、黒人音楽を基点とした、かつてのような「Black is Beautiful !!!」な雄叫びではなく、言葉として陳腐化して、本来の意味を失いつつある、「人類皆兄弟」という、コスモポリタニズムの音楽的表現だったのではないのでしょうか。

 

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実はデューク・エリントンの晩年の音楽もカークのように「人類皆兄弟」となっていきました。

 


かつてのような怒りが演奏から消え、その代わりに湧き上がるような実に穏やかな表情は、カークの音楽的成熟を示すものであり、その余りにも早すぎる晩年の境地だったのかも知れません。


1977年に、42歳という若さで亡くなっていなければ、カークはこの後、更にこの方向性を深めたのでしょう。


このセッションの残りは『Kirkatron』という、モントルー・ジャズ祭での演奏などを加えて、一枚のアルバムとして発売されましたが、コレも大傑作です。

 

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同セッションから作られた『Kirkatron』もオススメです!