mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

いやはや、圧巻でした! デイヴィッド・リンチの最高傑作でしょう!!

デイヴィット・リンチ、マーク・フロスト『Twin Peaks』(2017)

 

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【第3部 ジュディ】

 

まさか、『ツインピークス』の続編が作られるなんて、思いもしませんでした。

しかも、クーパー捜査官が、「ボブ」に乗っ取られたまま、25年が経過した後を描いているのも、心底驚きました。

しかも、18話すべてリンチが監督し、脚本は、マーク・フロストと共同で執筆しています。

見ていただけるとわかりますけども、1話もダレた回がなく、リンチ演出がみなぎっております。

かつての登場人物が結構な年齢に全員なっていて(笑)、おじいちゃんがやたらと多いという、驚異的な作品ですね。

 

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ネイディーンも登場します(笑)。

 

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美魔女、ノーマとシェリー。

 

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エド

 

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アンディとルーシー、その息子のウォーリー。全員天然です(笑)。

 

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ハリーの兄、フランクが保安官として登場します。

 

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丸太おばさんは、本作が遺作となりました。

 

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はい。オードリーと言えばあの踊りですね。

 

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ジェームズのあのイタい歌が今回も聴けます(笑)。

 

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セイラ・パーマー、めちゃコワいです!

 

リンチのおじいちゃんフェチぶりはほぼ全作品に共通するものですから、本作はそれが大爆発する事となりました。

それにしても、リンチがすべて監督しているという報道をきいた時、かなりの意気込みで作っているんだろうなあ。という事は容易に想像できましたが、そんなモノが追いつかない、私たちの期待を遥かに超え、そして、あの最終回でポカーン(笑)。にしてしただきました。

まだ、今のところ、WOWWOWプレミアムでしか見る事ができないので、それほど多くの方が見ているわけではないと思いますけども、私は友人が録画したものをブルーレイに焼いてもらいまして、それでようやく見ました。

いやはや、もうコレは大変な作品でありました。

ある程度ネタバレさせて話を進めますので、これからご覧になる方でまだ内容を知りたくないという事でしたら、コレを読むのは全話見てからにした方がよいでしょうね。

本作の1番度胆を抜いた回は、やはり、第8話なのではないでしょうか。

というもの、なぜ、「ボブ」や「ブラックロッジ」というものが現れたのか?がとうとう語られるんですね。

お話が1945年のニューメキシコ州での核実験にいきなり飛びます。

なんと、ブラックロッジというのは、この核実験によって生まれました。

 

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第8話は途中から1945年に話が唐突に飛び、白黒になります。そして、核爆発です。

 

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ゴードン・コールのFBI本部のオフィスに核爆発の写真が飾ってあったのは、意味があったんですね。

 

そして、この核兵器を生み出した、人間の憎悪や悪意が「ボブ」という存在を生み出してしまったんですね。

 

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火ィ、あるか?」 は本作屈指のコワいシーンです。。

 

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ブラックロッジの入り口、コンビニエンス・ストア。

 

本作でしばしば出てくる、「Fire, Walk with Me」の一節のFireとは、なんと核爆発だったんですね。

つまり、ホワイトロッジとは、「核実験のない平和な世界」を象徴するものだったわけです。

こんなとんでもない存在をFBIのゴードン・コールやデイル・クーパーは捜索していたわけです。

ですので、常人では、こんな恐ろしいものと戦う事など出来はしません。

ですから、第2部の最後で、クーパーが「ボブ」に乗っ取られてしまうのは、ある意味当然の事ですよね。

ですので、どうやったら、戦えるのか?という事を実はリンチ流の独特なものではありますが、着実に積み重ねていくんです。

本作のテーマに、ドッペルゲンガーがあるんですけども、クーパー捜査官は、ボブに乗っ取られたまま、ずっと悪事を働き続ける「悪のクーパー」と、別世界からやってきた「善のクーパー」のお話しが次第に、ツインピークスという街再び吸い寄せられるように、結実していくんです。

 

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「ボブ化」して、悪行三昧を繰り返す、「悪いクーパー」。素手で人間を撲殺するほど強いです。

 

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別世界にいる、「よいクーパー」。

巨人とともにいる。

 

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「よいクーパー」は、「ダグラス・ジョーンズ」と入れ替わる形で登場。

 

しかし、リンチの多層宇宙的な世界観は、1つの物語を論理的かつ機能的に組み上げていくのではなく、短い多くのエピソードをゆっくりゆっくりと積み上げていくんですね。

リンチ作品を見る上で一番やってはいけないのは、あたかも、ヒッチコックのサスペンスのような緻密な脚本と演出みたいなものを求める事ですよね。

リンチ監督自身もかなりの高齢となってきた事も加味されて(笑)、この第3部は、前作よりも長回しが多く、登場人物に中高年の人物が多いことから、意図的に緩慢なシーンが多いです。

 

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コメディリリーフになっていくミッチャム一家。

 

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「悪いクーパー」が探しているモノはコレです。

 

また、同時に、ネット配信などで見ることのできるドラマなので、テレビや映画のような規制がまだそれほどないためもあり、リンチ独特の、非常に残酷なシーンのキツさが、彼のデビュー作である、『イレイザーヘッド』並みになっていますね。

ハリウッド的な機能主義がリンチの作品にはあんまり働いていませんので(しかし、ものすごくサスペンスがうまいので勘違いされやすいんですけど)、そういうものを求めて見ても、彼の面白さには気がつきません。

彼の作品に一貫しているのは、夢です。

要するに、全部は夢の出来事なんですよ、リンチの作品は。

ですから、意味不明なキャラクターが唐突に出てきて、奇声を絶妙なタイミングであげたり、宇宙空間が出現するのも、夢だからです。

ですから、アレ?あの出来事はどうなってるの?と放り投げっぱなしがリンチ作品にはとても多いですね(しかし、アンジェロ・バダラメンティのいい音楽が最後にかかったりして、なんだかハッピーエンドみたいに終わったりするのですが・笑)。

それは、夢だから、見ている当人が気持ちよければそれでよしという事なんですよね。

つまり、『ツインピークス』全編は、誰かが見ている夢なんですよ。

それは、誰なのか?というと、第8話のラスト、すなわち、1956年に薄気味悪い虫が孵化して、女の子の身体に入り込んでしまいますよね?

あの少女が見ている夢なのではないでしょうか。

 

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この少女、すなわち、ジュディが見ている悪夢。それが『ツインピークス』なのでした。

 

それがハッキリとしてくるのが、17話、18話なんですよ。

17話で、ボブは、フレディの手袋パンチに撃沈し、ローラ・パーマーもクーパー捜査官に救い出され、ものすごいハッピーエンドに向かいます。

本作は、極力、アンジェロ・バダラメンティのサントラが使われてないんですけども(その代わり、リンチ自らもおこなっている、不気味なサウンドエフェクトが多く出てきます)、とうとう、17話に、あの「ローラ・パーマーのテーマ」が初めてかかります。

 

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何のシーンかは見てのお楽しみ。

 

世界中の『ツインピークス』ファンはこのシーンに大喝采だったと思いますが、本作は実はもう1話残っているんですね。

つまり、本作は、ラストが2つあるんです。

1つは、17話で、これでローラ・パーマーの悲劇もボブという邪悪な存在も消滅して、世界は平和になるんですね。

しかし、18話は、バッドエンドなんですよ!

登場人物が極端に少なく、クーパーとダイアン、そして、ローラくらいしか出てきません。

しかし、いろんところがおかしいんです。

コーヒーを「なんて美味いコーヒーなんだ!」とか叫びながら飲んでいる人が、スッと普通に飲んだり、ダイアンと泊まったはずのモーテルの風貌が朝になると全く変わってしまったりします。

しかも、クーパー捜査官の最後のセリフは、「今は何年なんだ?」
なのです。

クーパー捜査官とローラ(?)は、テキサス州オデッサからワシントン州ツインピークス(スポケーンがモデルらしいです)から車で向かうという、普通に考えたらあり得ない距離をモノの数時間と思しきドライヴで行ってしまうなどなど。

 

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「私はローラ・パーマーではない」「今は何年なんだ?」

 

なんというか、あらゆる場面がもう崩壊というか、今までのお話はなんだったの?という呆然とする内容です。

つまり、ハッピーエンドになったのが、あの少女には、やっぱりつまらなくて、バッドエンドにしちゃえ。という子供ならではの残酷な無邪気さそのものを最後に示して、本作には、このように無限にいろんなラストがあるんですよ。
という事を、リンチならではのサービス精神を発揮してくれたんですね。

しかも、17話でも、突然、「夢の中なんだよね」みたいな声が作中に何の脈絡もなく挿入され、子供が見ている夢/悪夢である事がすでに仄めかされているんです。

しかし、リンチ作品は、よくよく考えてみると、本作ほど巨大な大仕掛けにはなってませんけども、映画作品も一部を除いては、ほとんど夢なのか現実なのかよくわからなストーリー展開であり、登場人物の多くが、非現実的な存在です。

でありながら、セットやロケーションは、ありきたりなアメリカの、どちらかというと、田舎を舞台としていて、ものすごく、ディテールはシッカリしています。

実際、人間の見る夢の材料はその人が全く体験した事のない風景である事はほとんどなく、大体は自分が見たものが頭の中で再構成させているんですよね。

つまり、リンチの作品の映像というのは、リンチ自身が見たアメリカを映画という「夢再生装置」を通じて見ている事になるんだと思います。

そういう意味で、デイヴィッド・リンチの作品には、表現したいコトにものすごい一貫性があり、まさに「夢/悪夢の再現」をやり続けている映像作家ということなのでしょう。

そういう意味で、本作は、彼の最高傑作に遂になったとのだ。と言えます。

とりあえず、あと、最低3回は見ようと思ってます。

 

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THE END...

 

 

ハッキリ言って面白すぎる!

『EMPIRE』シーズン2

 

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株主総会でのクーデタで、ルシウスがCEOを解任され、三男ハキームとなると、タイトルがコレに変貌します。

 

逮捕→無罪放免(ホントは違いますが)→CEO解任→復帰と、主人公ルシウスが本宮ひろ志のマンガ並みに大変な事になっているシーズン2ですが、前回お話しした『ダイナスティ』との対比はやっぱり当てずっぽうではなかった事が明らかになります。

 

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FBIはずっとルシウス逮捕を狙っています。

 

元奥さんのクッキーが、三男のハキームとともに「ダイナスティ」というレーベルを立ち上げているではありませんか(笑)。

 

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ハキームが発掘した逸材、ローラ。

 

ちなみに、私は本作のあらすじを事前に一切知らずにコレを書いてますが、あまりにまんまなので見てて大笑いしてしまいました。

結局、「ダイナスティ」はエンパイア所属のレーベルに落ち着き、クッキーとハキームも事実上エンパイアに戻ってきます。

 

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父親が拘置所に拘束されている間は、次男のジャマルが社長でした。

 

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シーズン2の重要キャラクター、フリーダ。ラッパーとしての才能が本編屈指です!

 

それにしても、ルシウスが音楽業界の皮を被ったギャング。という本性が、ここまであけすけに描かれ、それとともにルシウスの生い立ちにまで食い込んでいくという展開(ルシウス・ライオンは本名ではなく、その事はクッキーすら知りませんでした)は、ハッキリ言って面白すぎるでしょう。

シーズン2も、やはり、クッキー役のタラジ・P・ヘンソンのガラの悪い、しかし憎めないキャラクターがまことに見事であり、彼女の存在なくして、本作はありえないでしょう。

 

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ルシウス釈放のイベントで檻に入って登場するクッキー。いいですねえ。

 

とにかく、ストーリーの二転三転ぶりが並大抵ではないので、是非見ていただきたい。

コレだけ、マンガ寸前まで誇張されているのに見てられるのは、登場人物の造形がシッカリしているからで、このへんは脚本陣の優秀さを感じてしまいます。

ハリウッド映画から優秀な脚本家がテレビドラマに流れているのかもしれません。

テレビドラマはシーズンの終わりは、一応、一区切りとして終わるのが普通ですけども、本作の最終回は、そんな事は御構い無しにぶった切るように終わり、続きはシーズン3を見ざるを得ないという、容姿ない終わり方をしております。

最終回がそもそもビックリ仰天な展開ですが、その最後の最後まで楽しませてくれる、まことにズルい作品でございました。

早速、シーズン3を見る事とします(笑)。

 

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 何のシーンかは言えません。

予想以上に真面目なオマージュでしたね。

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複数のグループがアニメを制作してるのが特徴です。

 

大川ぶくぶ原作の4コマ漫画がアニメ化され、東京だと東京MXテレビで放映されているのをご存知でしょうか。

実はアマゾンプライムでもテレビ放映が終わると無料で見られるんですよ。

という事で、秋葉原で暴動寸前なったという騒動もすでに起こったとか言われているアニメを見て見る事にしたんですが、それは次回語る事とします(笑)。

今回は最新話の第8回の『仁義なき戦い』のかなり良くできたパロディについてのみ述べたいと思います。


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日本映画史の伝説的な金字塔と言ってよい、『仁義なき戦い』は、コレまでも膨大なパロディやオマージュ、リスペクト作品を生み出し、ここからインスパイアされた様々なアクション映画などは、とう枚挙に暇がありませんので、今回は一切カットしますけども、本作は様々なパロディを行なっているので、『仁義なき戦い』にも手を出すのは、ある意味王道ですね。

実際見てみますと、そのパロディのクオリティは、相当なものでした。

このテのモノを詳らかに見てきたわけではありませんけども、本作はかなり上位の内容だと思います。

主な内容は第1部、第2部を基としてます。

ポプ子が演じているのは、主に北大路欣也が演じる凶暴なキャラクターであり、ピピ美は菅原文太と梅宮辰夫です。

 

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この辺は菅原文太のキャラですね。

 

そして、2人に松方弘樹のキャラが入っています。

網走刑務所でレモンで兄弟盃を交わしたポプとピピ(コレは第1作の菅原文太と梅宮辰夫のシーンのパロディですね)。


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レモンが兄弟盃です。コレでポプはヤクザとなりました。

 

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実際は血をすすり合うというものすごいシーンですが(笑)。

 

ピピとポプは出所後は広島で大暴れするのですが、やがて組長と決裂して、組を出て、独自の組織を築いていきます。

 

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この辺はジョン・ウー入ってます。

 

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若頭ピピは組長に絶縁状を叩きつける!

 

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役割としては、松方弘樹菅原文太なのですけども、風貌は第2部の千葉真一的です。

 

この辺りは、若頭の松方弘樹が山守組から独立する場面でしょう。

また、全体的なポプの凶暴な性格は、第2部の主人公である、北大路欣也であります。

 

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仁義なき戦い』によく出てくる殺害シーンですね。

 

ポプは賭場で暗殺されますが、その葬儀の場面は、今でも語り草となっている、殺された松方弘樹の葬儀に、コレまた山守組から離脱した菅原文太がブラリとやってくるシーンのパロディです。

 

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これのパロディです。 それにしても松方の風貌がすごいですねえ(笑)。

 

と、ほとんど全編(と言ってもホンの数分ですが)をネタバラシしましたが、コレを知っていても、実際見てみると、ホントに真面目に作られている事がわかります。

 

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こちらでは生き返っちゃいますが(笑)。

 

セリフも『仁義なき戦い』のそれをかなり効果的に引用していて、笑っちゃうよりもむしろ感心してしまいました。

が、むしろそこがつまらなくも思いました。

私たちが見ているのは、破壊的なパンク作品である『ポプテピピック』なのであって、こんなによくできたオマージュ作品ではないのではないのでしょうか。

 

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よく出来過ぎていて、むしろ面白くないのでは?

 

 

 

コレぞ、現代の『ダイナスティ』!

EMPIRE』シーズン1

 

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ティンバランドが音楽を担当しているのもすごいです。

 

『24』ブライアン・グレイザー)、『Lの世界』(イレーネ・チェイケン)のスタッフが組んで作られた、ショウビズ業界のドロドロ劇を描いた、新時代の『ダイナスティ』。

奇しくも『帝国』と『王朝』という題名の相似は決して偶然ではないし、恐らく狙っていると思います。

石油業界と音楽業界の違いこそあれ、たたき上げの一代で作り上げた「王朝」と「帝国」とその継承がテーマである事、次から次へと出てくる、身内のゴシップ、父と子、あるいは母と子の確執と、そして、元嫁の大活躍という、基本構造は本当によく似ています。

しかし、時代の違いもキチンとあります。

それが同性愛の問題です。

ダイナスティ』の主人公の息子もゲイなのですが、実はこの問題は、ストーリーのメインにはあんまりなっていきません。

しかし、『EMPIRE』は第1話から、主人公のルシウス・ライオンの次男、ジャマールは、お父さんが家賃を払ってくれている超豪華なマンションの部屋に、男の子と一緒に暮らしていて、もうイチャイチャしているんですね。

 

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 一代で帝国を気づきあげたルシウス。

 

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恋人のマイケルとイチャイチャするジャマール。

 

典型的なアフリカ系男性のマッチョ思考であるルシウスは、そんなジャマールとうまくいってないのですが、ココに更に一捻りあるんですね。

 

ルシウスのR&Bのシンガーソングライターとしての才能は、ジャマールに濃厚であり、それは恐らくは父親を凌ぐポテンシャルがあるんですね。

実は、ゲイである事により、その問題がルシウスの中で合理化されている事が、この父と子のオイディプス・コンプレックスの問題をややこしくしているのが、とても面白いです。

敢えてキツい言葉を使いますが、「黒人でゲイ」というのは、アメリカ社会で生きていく上で確実に厳しい差別を二重に(それは黒人からも差別されるという事により)辛い事になるのですが、ご存知の通り、アフリカ系でありながら、ゲイである事をカミングアウトして大ヒットを飛ばしたフランク・オーシャンの存在が、このジャマールというキャラクター造形に相当な影響があったものと思います。

これに対して、三男のハキームは末っ子らしく超マザコンの甘えん坊でやんちゃなのですが、その野生的なカンに基づいて行動するところが、母親のクッキーに似ています。この2人も対立しますけども、実は誰よりもママが大好きで、それは、年上美魔女のナオミ・キャンベルを恋人にして、「ママ」と呼んでいる辺りからわかります。

 

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ラッパーのハキーム。

 

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長男のアンドレは家族で唯一の大卒ですが、双極性障害に苦しんでます。。

 

あと、全体に言えますが、ブラックミュージック業界のドロドロの内実(しかし、絵はとてもキレイです)を描いているので、とにかく、エロエロシーンとが多い(笑)。

で、ドンパチはほどよく。

 

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対立するレーベルとの争いでギャングに襲撃されたりします。

 

主人公のルシウスは、ゲットー出身で元々ハスラー(各人意味は調べてください)でしたので、その頃に4人は少なくとも殺害しているような人です。

この主人公を演じるテレンス・ハワードは、映画『ハッスル&フロウ』で、コレまたゲットーから抜け出すために、ラップミュージックの曲を作る。という、ど根性ブラックムーヴィの主人公、Dジェイを演じていまして、『EMPIRE』はその事を知っている人には、まるで、Dジェイがとうとう音楽で大成功して巨万の富を築いた後の話のようにも見えるんです。

コレは明らかに、この事を踏まえて制作されていると思います。

また、本作を面白くしているのは、貧乏時代のルシウスと結婚し、自身も音楽プロデューサーとしても、夫のルシウスを助け、なんと、麻薬のディーラーとしての仕事まで手伝い、その時に稼いだお金で、「エンパイアレコード」を創設したという、コレまたど根性の人、クッキー・ライオンで、この稼業の事で逮捕され、ルシウスの名前を自供しなかったため、17年間も服役していたという彼女の出獄から始まるというくらい、本作の最重要キャラであり、時折、ルシウスを圧倒するほどの存在感です。

 

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元嫁のクッキー。

 

ダイナスティ』も主人公のキャリントンの元嫁が、キャリントン一家にグイグイ絡んでくるナイスなキャラでしたが、クッキーも、コミカルさと凄みが同居する、タラジ・P・ヘンソンの演技が見事です。

彼女は、昨年公開された『ドリーム』という謎の邦題がついた、マーキュリー計画で離陸と着陸の軌道計算をしていたという、NASA職員を演じており、コレまた、黒人差別と女性差別というダブルの差別と果敢に戦う役を熱演している、大変な実力派です。

アメリカのテレビドラマは、まず、1クールの途中まで作って視聴率を見て、続けるかどうか見て、以後、続行するかどうかを決めるんですが、本作は大人気を博しまして、最後の2話くらいにどんでん返しがバンバンかかっていって、次のシーズン見たいよ状態に私自身も陥っているわけですけども、この第1シーズンでの白眉は、ジョン・シングルトンが監督した回ですね。

ブラックムーヴィーの代表的な監督ですけども、その腕は全く落ちてませんね。ズバ抜けて出来が良かったです。

この他にもメルヴィン・ヴァン・ピープルズが監督している回もありますので、お楽しみに。

何人かの大スターがカメオ出演だったり、ミュージシャン役で出演しますので、コレもお楽しみに。

 

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株式会社上場にまでこぎつけるのですが。

 

 

※追伸

 

テレンス・ハワードタラジ・P・ヘンソンは『ハッスル&フロウ』で共演してました(笑)。

シングルの重要な歌のパートを歌った売春婦でした!

 

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印象があまりにも違うので、気がつかなかった!ある意味、この映画の後日談が『EMPIRE』と言えますよね。

 

 

 

 

 

最終回のリンチ演出は必見!

デイヴィッド・リンチ+マーク・フロスト『ツインピークス

第2部「ブラック・ロッジ」

 

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いきなり停職処分となるクーパー。

 

リンチファンでしたら、この第29話までの第2部の方が本来の彼の持ち味である事がわかるのですが、一般的なテレビ視聴者には、散漫なお話に見えてしまったのでしょう、話数の中途半端さを見てお分かりの通り、打ち切りで終わってしまいました。

伝え聞くところによると、The Returneは、あの打ち切った所から話しがチャンとつながって、25年後のツインピークスを描いているらしいですね。

もう、楽しみで仕方がないです(笑)。

第2部の大半で、クーパーは冤罪で、FBI特別捜査官を停職となっていて、ツインピークスの保安官助手となっており、あの黒いスーツ姿ではなくなります。

原因は、あの「片目のジャック」でのオードリー救出なのですが、詳しくは本編をご覧ください。

 

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保安官助手としてクーパーは活動します。

 

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前半に活躍するのは、何と言ってもデニースです。なんと、デイヴィッド・ドゥカプニーですよ。

 

いろんなエピソードが次から次へと出現してくるので、やや散漫な印象が残りますけども(リンチとフロストがあまり監督していないのも大きいでしょう)、やはり、第2部最大のテーマは、「ブラックロッジ」です。

第1部ではそれほど重要ではなかった、ボビーのお父さんで空軍少佐のガーランド・ブリッグズが俄然重要人物になってきて、お話がかなり『Xファイル』に近づいていきます。

 

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クーパーと釣りに行っていたら、突然失踪してしまった少佐。

 

本編ではあまり明らかにしていませんが(軍事上の機密なので)、ブリッグズ少佐が永年関わっている任務が実は地球外生物任務がついての調査でして(笑)、コレと、ツインピークスという町がとても関係があるんですね。

なので、ド田舎町に1人だけ軍服を着ているという、異様な出で立ちの理由が第1部でもチラッとは出てくるんですけども(リンチだから、ある種のコスプレキャラなのかな?と初めは思いましたが)、それがようやく明らかになるんです。

 

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コレがなんなのかは見てのお楽しみ。

 

しかも、コレとクーパー捜査官の元上司であった、狂人のウィンダム・アールが関わっていた事も明らかになりました。

こうやって書いていくと、さも、スリリングな展開があるように見えますけども、実際に見てみると途中にムダなエピソードがゴマンと挿入されてくるので、相変わらず展開はものすごくゆっくり進みます。

 

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なぜか南北戦争にトリップしてしまう、ベン(笑)。

 

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 30年近くツインピークスの町長のドゥウェイン(笑)。またしてもおじいちゃんフェチが爆発。

 

ココがハリウッド映画の文法に慣れきったアメリカ国民をイライラさせたのでしょう(笑)。

第1部と比べて、いろんなエピソードの出来が正直今一つでした。

その中でも1番盛り上がるはずであった、ジョシー・パッカードとトーマス・エカートとの確執が1番よくなかったと思います。

コレは、多分にリンチとフロストに原因がある気がしますが。

あと、ウィンダム・アールですよね。

 

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 どう見てもクーパーの方がマッドネスが上でした。

 

第1部のローラ・パーマーを殺したのは、悪霊の「ボブ」であり彼は最後に逃げてしまいますけども、第2部の最大の敵は、どんなにすごい能力があるとは言え、人間なんですよね。

悪霊と人間では、どう頑張っても悪霊のほうがお話し的には強いに決まってます。

アールがクーパーたちにいろいろと仕掛けてきますけども、人間には理解不能な存在である「ボブ」と比べて、いろいろと変装したり、リオ・ジョンソンを奴隷にしたりするアールはなんだか、せせこましく見えてしまいます。

この合間に「怪力高校生ネイディーン」のエピソードなどが挟まってしまうので(笑)、余計に散漫な印象となってしまって、ただの小狡い悪党みたいに見えるのが、残念でなりません。

 

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怪力高校生ネイディーン。一応解決します(笑)。

 

せめて、デニス・ホパーが『ブルーベルベット』で演じた病的なフランク・ブース並みにクレイジーだともうちょっとよかったかもしれません。

とはいえ、後半のブラックロッジの謎に入ると、俄然面白さが高まってきます。

 

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ブラックロッジの入り口。ブリッグズ少佐が失踪した場所と同じなのだ!

 

そことミス・ツインピークスのコンテストと絡めようという発想には、ある意味脱帽です(笑)。

 

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コレは絶対にやりたかったんでしょうね(笑)。

 

こんなチープネスと核心部分が絡んでくるというのは、さすがという他ありません。

最終回のリンチ演出は、やはり脱帽せざるを得ません。

結局、ブラックロッジについての謎はあまり解明されないまま打ち切り。という形で本作は途中で放棄されたままになっていたわけですが、それがなぜか2017年になって突如として復活しました(笑)。

 

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ココが悪の根源。というのがスゴイ(笑)。

 

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当時、完全に忘れられた歌手であったジミー・スコットが、突然このブラックロッジのシーンで熱唱! 

 

全編をリンチがみずから監督するという力の入れようからして、彼の総決算的な作品となることは間違いないでしょう。

楽しみです。

 

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 25年後にお会いしましょう

 

 

 

 

 

新作に向けて復習しております!

デイヴィッド・リンチ、マーク・フロスト『ツインピークス

第1部「ローラ殺人事件

 

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本作に特に切れ目はないのですが、便宜上、このように分けさせていただきます。

世紀のド変態映画監督にテレビドラマを作らせよう。という企画がどうして持ち上がったのか、私は今でもよくわからないんですが(笑)、なんと、2017年に「25年後に会いましょう」という、ローラ・パーマーのセリフ通りに続編まで放映が始まってしまった、奇跡のテレビドラマ。

私は、コレでデイヴィッド・リンチが好きになり、映画作品も見ましたし、サントラまで買ってしまい、リンチ作品の音楽を担当するアンジェロ・バダラメンティの大ファンになってしまいました。

「もう映画監督はやりたくない」とインタビューに答えているそうですが、そんなリンチが突然、ネット配信で『ツインピークス』野続編を発表しました。

その経緯はいずれ明らかにされるでしょうけども、やはり、リンチファンとしましては、中学生以来見てなかった本作をもう一度見直して、どんな作品であったかを思い出す必要があると思ったんですね。

この、第1部。というのは、パイロット版(かつてはコレで一応完結させていたんですが、現行版は途中をカットして、テレビドラマに直結するように編集し直してました)と、テレビドラマの第16話までを指します。

人口5万人ほどのワシントン州の田舎町、ツインピークスで起きた、ローラ・パーマーという女子高校生の殺人事件(もう古典的作品といってよいので、かなりネタバレさせてしまいますが、連続殺人事件に発展します)に、FBIの特別捜査官が派遣されます。

 

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ローラ・パーマーの遺体。

 

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 ローラの殺人現場にいながら生存したロネット・ポラスキー。

 

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 クーパー捜査官が録音機に話しかけるシーンはおなじみですね。

 

コレを主人公のデイル・クーパーで、リンチ作品に欠かせない、カイル・マクラクランが演じます。

 

捜査を進めていくと、優等生で皆から慕われていたローラが、実は、コカイン中毒になり、複数の男性と肉体関係がある事が判明し、国境を超えたカナダにある売春宿「片目のジャック」に勤めていた事までわかってきました。

 

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片目のジャックの看板。

 

それだけでなく、町の基幹産業である、パカード製材所をめぐる陰謀やなどなど、一見、平穏である町の裏側で、起こっている悪事が、この事件から次々と判明していきます。

 

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パカード製材所のオーナーである、ジョシー。香港出身。

 

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パカード製材所。

 

このお話しが面白いのは、殺人事件の犯人を見つけるという事だけでなく、コレと直接関係しない話しが(かなりしょうもない話しも含めて)、重層的に起こっており、よって、小さな町のお話であるのに、登場人物が大変膨大になる事ですね。

特に面白いのが、エドとネイディーンの夫婦の話なのですが(笑)、ネイディーンが音のしないカーテンレールの特許の申請を拒否された事にショックを受けて、睡眠薬で自殺未遂を起こすのですが、これから回復してから記憶がなぜか高校生に戻り、異常な怪力になるエピソードですね(このどうでもいい話しを第2部にもまだ引っ張り続けます)。

 

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クーパー捜査官の隣がエドとネイディーン。ローラのお葬式の場面ですね。


また、ツインピークスの保安官のアンディと保安官事務所の事務員のルーシーとの間の妊娠問題も、ずっと引っ張り続け、コレも第1部で解決しません(笑)。

 

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独特のしゃべり方が印象に残るルーシー。

 

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ボケボケキャラですが、なぜか捜査の重要な局面で活躍するアンディ。

 

つまり、殺人事件の解決とともにいろんなエピソードが収斂していかないんです。

コレはリンチとマーク・フロストが意図してやっている事でして、殺人事件は大きなエピソードですけども、それは、ツインピークスという小宇宙の一つのエピソードでしかないんですね。

 

冒頭で遺体で発見されるローラ・パーマー役のシェリル・リンは、従姉妹のマデリーン役でずっと出てくるという、白戸三平もびっくりな役者の使い方も面白いです。

 

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ローラの従姉妹、マデリーン。髪の色が違うだけです。

 

それは第2部以降ますますそうなっていくので、それが一般的なファンを失う事にもなり、不本意な形で終わらざるを得なかったんですが。

基本的にリンチの世界観は統合失調気味で、何かが解決してないという事がよく見られます。

客観的には殺人事件よりも悪辣なパカード製材所などをめぐる争いも別に解決していません(第1部で1番犠牲者が多いのは、この利権を巡る争いであり、町の実力者である、ベンジャミン・ホーンがどう見ても1番の悪党ですね)。

クーパー捜査官が滞在している「グレート・ノーザン・ホテル」で銃で撃たれているんですが、この犯人は第1部では捕まってません。

リンチ作品に親しんでいるとそういうものと思って見ていられるんですけども、ハリウッド映画のように、引いておいた伏線がキレイに収斂されていく作品に慣れていると、リンチの描き方はとても不親切に感じる事でしょう。

それでもこの第1部は、殺人事件という大きなエピソードがハッキリありますので、話しのスジがわかりやすいです。

が、この殺人事件がとりわけリンチテイストが満点で、「チベットの思考法に基づく操作法」やら、肝心なところが大変ブッ飛んでおります。

また、小人や巨人、片腕の男「マイク」、「丸太おばさん」といった、超自然的なキャラクターが、解決に重要な役割を果たしているのが、普通の意味でのユニークさを通り越しております。

 

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丸太おばさん。

 

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 リンチのおじいちゃんフェチが爆発するホテルの従業員。

 

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 特に役に立たないジャコビー博士。ハワイ好き。

 

しかも、犯人は人間ではありませんから(笑)。

クーパーは凄腕の捜査官なのであって、それは本作を見ていただければよくわかる事なんですけども(片目のジャックそこに突然、チベットとか彼が見た夢とか、丸太おばさんのメッセージが捜査のカギとなるところが、本作の尋常でない点であり、コレが他の追随を許さない魅力です。

 

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クーパーと保安官のハリー・S・トルーマン。大統領と同じ名前です。そしてドーナツ(笑)。

 

あと、総監督であるリンチが監督した回は、やはり、他の監督が撮ったものと比べて、クオリティが高く、特に中盤の山場である、クーパーが何者かに撃たれ、この時に初めて巨人が出現するのですが、コレに当たる第8話は、第1部全体の白眉だと思います(第7話のマーク・フロスト監督会がそれに次ぐ素晴らしさです)。

あと、本作というか、リンチ作品を決定的に印象づけている、アンジェロ・バダラメンティの音楽は見事という他ないですね。

 

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本編にもカメオ出演している歌手のジュリー・クルーズが歌う「falling」は、かなり話題になりました。

リンチの作品の特徴にポップとストレンジという二つの要素があると思うのですが、彼の映画がことごとくカルト作品になるのは、そのストレンジの部分が受け付けられないからなのですが、本作は、リンチだけではなく、マーク・フロストという相方がいて、映画よりも表現の制約が強いテレビドラマであったというのが、吉と出たのでしょう。

それによって、ストレンジがほどよくポップと融合して、絶妙なバランスとなり、類稀な傑作となったのではないでしょうか。

それは映画版がかなりキツい作品になってしまったのを考えてもわかります。

本当に久々に見返しましたけども、全く古びてなかったのに改めて驚いてしまいました。

 

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今こそ見直したい傑作!

高畑勲宮崎駿アルプスの少女ハイジ』 その3

 

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第3部は、ハイジをこれ以上ゼーゼマン家にいる事は、精神的に危険であると医師に判断されて、再びアルムに戻ってくるのですが、第1部とは比べ物にならないほど内容が複雑で登場人物が一挙に増える点がなんといっても特筆すべきですね。

 

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 右がクララの主治医。

 

帰ってきたハイジがクララのおばあさまからもらったグリム童話集やクララからの手紙を読む姿をアルムおんじが見て、頑なに学校に行かせようとしなかった考えがとうとう変わった。という所がキッカケとなります。

冬は麓のデルフリ村で生活し、ハイジはペーターと一緒に学校に通うようになるのです。

ハイジは単にドイツ語の読み書きができるようになっただけではなく、世界が広がったんですね。

登場人物も村人の登場する場面が増えますので、物語としての印象が相当変わります。

 

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ハイジのおみやげ、ご存じ「白パン」に喜ぶ、ペーターのおばあさん。

 

ご存知のように、クララがアルムにやってくるという、物語最大の山場があるわけですけども、ペーターの人間的成長も実は見どころです。

山羊飼いとしての仕事があるため(それだけ貧しいということなんですけども。。)、普段は学校に行く事が出来ないペーターが、冬だけは学校に通うことになっていたのですが、学校に行く事に意味を見出せはず、サボり気味でした。

ペーターは、第3部の段階で14歳でくらいになっているのですが、ほぼ文盲と言ってよい状態でした。

しかし、ハイジたちがデルフリ村で冬だけは生活する事になると、サボりがなくなります。

本作で数少ないアクションが繰り広げられる、村の子供たちのそり大会で、ペーターは自作のそりで参加しますが、それは、おんじの家で作成したものでした。

 

おんじは、「学校帰りに作ってもよい」という条件で材木も道具も自由に使わせ、ペーターはほとんど自分1人で完成させるのです。

 

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勉強がサッパリで歳下のハイジが読み書きがドンドンできるようになっている事で(クララに、ヘタくそながらも手紙を何度も書いているくらいです)、ペーターはかなりかなり卑屈になっていたと思いますが、ソリ作りにスッカリのめり込んでいく姿が描かれます。

 


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こういう男の子の描かせると、天下一品です。

 

宮崎駿の作品にしばしばこういう場面が出てきますけども、男の子というものは、こういう時期が必要なのでしょうね。

クララがどうしても山の上の花畑に行きたいことを知ると、クララをおんぶして連れて行ったりもします。

 

この時、クララは「ハイジのように走り回れたら、どんなにいいだろう。歩けるようになりたい」と初めて言うのは重要ですね。

そして、自分のためにペーターやハイジ、そしておんじたちがクララのためにどれだけ心を砕いていたのかに初めて気がつくんですね。

病弱で足が不自由であり、お金持ちのおじょうさまですからお世話をしてくれるのが当たり前の生活であったため、この事になかなか気がつけなかったのですね。

そんなクララが初めて役に立ったのが、ペーターのおばあさんのために聖書を読んであげる事だったんです。

コレは、クララがハイジに「7ひきの子やぎ」のお話するエピソード、そして、第3部になって、ハイジがおばあさんのためにたどたどしく聖書を読んであげるというシーンが伏線になっているのですが、クララは自分が人のために役に立つ事ができる事に気がつくという、とても重要な場面です。

第3部、というよりも本作に一貫してしているテーマは、「他人のためにつくす事の大切さ」は、最後はクララを立たせるために、あらゆる人たちの尽力があった事は言うまでもありません。

実は、クララが立ち上がるのを最初に目撃するのは、クララのおばあさまであるのは、意外と忘れられているのかもしれません(それがクララが歩けるようになる事への決定的な確信になるんですね)。

そして、最終回にチラッと再登場するロッテンマイヤーさんが、「この調子なら、春には山に行く事ができますよ」とお屋敷の階段を使っての歩行練習を手伝いながら、クララに優しく語りかけるのは、けっこう驚きます。

 

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前半ではコナンばりにムチャなアクションもしてくれました(笑)。

 

ロッテンマイヤーさんにも、クララが歩けるようになったと言うのは、強烈な出来事だったのでしょう。

もっと言いますと、実は、歩くためのトレーニングは話数的にいうと、そんなに多くないです。

 

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 つい車椅子に頼ろうとしてしまった自分が情けなくなり、泣いてしまうクララ。

 

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時間をかけているのは、クララがホントに山に来ることが出来るのか?という事と、デルフリ村と山の生活に馴染むことや人々との交流、ハイジペーターやクララ、ハイジの内面的な成長、おんじの変化なんです。

 

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特訓よりも、3人で遊んだりするシーン方に時間を割いてます。今みると、呆気ないくらいクララはすぐに立ててしまいますね。

 
ですから、クララが立てるようになるかどうかは実はそんなに主題ではなかったりします。

さて。

本作は、原作によると、1890年がスタート地点です。

原作とスタート地点を変える必要は特にないと思われますから、ここからハイジとクララの生年がわかります。

ハイジは1885年生まれて、クララは1882年です。

つまり、このままふたりがドイツなりスイスで生きていおりますと、第一次世界大戦ナチスドイツの台頭を目撃する事になるんですね。

しかも、ふたりはヒトラーとそんなに年齢が違いません。同世代と言ってよい。

そう考えて見ると、このお話で描かれた、誰にでも当てはまるような身近ながらも崇高なヒューマニズムの問題が、なんとも切実なテーマになってきますよね。

コレは戦後の日本です作られたアニメーションですから、さすがにナチスドイツの問題は結びつきませんが、ロバート・ベラーが言うところの「心の習慣」の危機を、すでに高畑、宮崎コンビは日本社会に感じ取っていたのかもしれません。

本作は、子供達にこそ見ていただきたいものです。


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