mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

サウンドクリエーションこそ、現在のジャズに最も必要な才能である。

Marcus Strickland Twi-Life『People of The Sun』(Blue Note)

 

 

personnel;

Marcus Strickland(ts,as,soplanino sax,b-cl,keys,synth,drum programming),

Mitch Henry(keys,organ,vocoder),

Kyle Miles(b,key-b),

Charles Hayes(drms)


Bilal(vo),

Pharoahe Monch(lyricist),

Greg Tate(oration),

Akie Bermiss(vo),

Jermeine Holmes(vo),

Keyon Harrold(tp),

Weedie Braimah(batas,djembe,congas,vo),

Micheal Strickland,Angelina Beener,Vanessa Strickland,Dawn McGee Strickland,Petra Richterova(dialogue),

Kasey Hearns,Melanie Charles(voice)


recorded at Herd Studio,Roxbury,MA

additional tracking at Electric Garden,Blooklyn,NY and Breeding Ground,Blooklyn,NY and Parks,Queens,NY


edited by Colin Fleming,Marcus Strickland and Ben Kane

 

 

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マーカス・ストリックランドの名前が私の視界に入ってきたのは、デイヴ・ダグラスのアルバムに参加していた辺りだと思うのですが、当時はそれほど印象に残るテナー奏者というわけではなかったです。

 


しかし、2018年にブルーノートから、出された本作は彼のグループ「トワイライフ」に多くのゲストを加えた大作で、その圧倒的なバンドサウンドと作編曲能力が際立った傑作ですね。

 


現在のテナー奏者に最も影響を与えたのは、ジョー・ヘンダソンという事を書きましたが、ストリックランドもメイン楽器であるテナーは、やはり、ジョーヘンを感じます。

 


しかし、マーク・シムのようなモロにジョーヘンという人にはならず、作編曲の能力の中に自分の演奏を溶け込ませていく方向に向かっていて、実際、サックスやバスクラだけではなく、キーボードやシンセサイザー、ドラム・プログラミングまで担当し、プロデュースと編集まで行っています。

 


古来、ジャズというのは、せーので一斉に演奏してそれを録音するものだったわけですが、マイルス・デイヴィスの演奏をプロデューサーのテオ・マセロが巧みに編集してアルバムにしていた事が、近年になって注目されるようになりましたけども、ジャズに於いて、演奏を編集したり、オーバーダビングを加えていこうとするジャズメンはほとんど皆無であり、現在でもジャズの録音は一発録りが普通です。

 


しかし、本作のクレジットを見ると、additional trackingやedited byとハッキリと書いていて、ポストプロダクションをかなり行った作品である事が強調されています。

 


そういう意味で、マイルスのエレクトリック期の手法を発展継承していると言えますが、しかし、マイルスをまんまやっているわけではなく、デジタル技術を駆使した、マイルスのようなおどろおどろしい呪術的なサウンドではなく、非常にクリアで明晰でスムース、しかも、驚くべき超絶技巧で。という所に特徴があります。

 


こういうコンセプトですから、ストリックランドのソロでどうこうしようというよりも、アンサンブルの凄さがメインであり、とりわけ、リズムの凄さが際立ちます。

 


その意味で、最近のアメリカのジャズの1つの大きな流れの中にある作品と言って良いと思います。

 


それは、ヴォーカルやラッパーのゲストがとても多い所にも出てますね。

 


本作のサウンドのキモになっているのは、ドラム、パーカッションとドラム・プログラミングの妙でしょうね。

 


ジャズというよりも、もはや、西アフリカの音楽に近く、どこかフェラ・クティのアフロビートのサウンドを意識していたり、クエストラヴの延長線上にあるようなドラミングが挿入されたり、ほとんどネオソウルになったりもしますね。

 


しかし、完全にアフリカになっているわけではなく、北米のアフリカ系の音楽らしい黒い粘り感が濃厚です。

 


この全体を統括しているのが、ストリックランドであり、彼はプレイヤーではなく、サウンドディレクターという位置づけに近いでしょう。

 


そういう作り方なので、一曲だけ聴いてどうこう言えるアルバムではなく、約44分のアルバムを聴き通してこそ意味がある作品です。

 


1960年くらいまでのモダンジャズしか聴いてない方には、なかなかショッキングなアルバムかもしれませんが、ジャズとは演奏様式ではなく、その変化と運動にこそある事が理解できていれば、コレが現在のジャズである事がわかってくると思います。

 

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コニッツの極限のストイシズム!

Lee Konitz『Motion』

 

Personnel;

Lee Konitz(as), Sonny Dallas(b), 

Elvin Jones(drms)

Recorded at Olmsted Sound Studios, New York in August 29, 1961

 

 

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最近のコニッツです。

 

 


2019年現在も現役という、アルトサックス奏者コニッツが1961年に録音した、超がつく名演。

 


このアルバムの演奏の変わっているところは、なんと言ってもピアノがいません。

 


トコトンまで、激越な世界を追及していったジョン・コルトレインは、意外にも、ピアノが入っていない演奏はほぼありません。

 

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ジョン・コルトレイン。

 

ピアノがいる事で、ホーン奏者は自分が今どこを演奏しているのかがわかるようになっているんですが、コルトレインはそういう意味で案外保守的なんですよね。

 


コニッツはコルトレインが追及した激越さとは真逆の過激さに向かっていて、それは、トコトンまで逃げ場がない所に自分を追い詰めたところで出てくる音は一体なんなのか?というとこなんですね。

 


まず、ピアノを外してしまう。

 


ホーン奏者はある意味、演奏の自由度が増したと言えますけども、ピアノにソロを回して、小休止する事もできないので、自分がソロを取り続けるしかありません。

 


オーネット・コールマンの初期のカルテットにピアノがいないのは、その自由度をトコトン拡大していこうという意図があり、それがフリージャズの考え方に多大な影響を与えました。

 

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2015年に惜しくも亡くなったオーネット・コールマン

 

コニッツは、オーネットのような、闇雲に突っ込んでやろうという考えとも正反対で、むしろ、ルールを厳しくしている方向に向かいます。

 


コルトレインのインパクトというは、あのテナーサックスやソプラノサックスの音色のインパクトですよね。

 


もう、それ自体がただならぬ緊迫感を与えますが、コニッツのアルトは、なんとも素っ気ないというか、愛想がなさすぎる。

 


オーネットのアルトはもうアウトなのに、メロディアスなので、やたらと快楽的なのと真逆で、ストイックです。

 


演奏面でのもう1つの追い込みは、ドラムズにエルヴィン・ジョウンズを起用している事です。

 

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エルヴィン・ジョーンズは本作の最大の功労者です。

 

恐らく、この2人は共演はした事がないんだと思うのですけども、エルヴィンはこの頃からコルトレインのカルテットのメンバーなんですね。

 


コルトレインの音楽がとんでもない所にまで高められた所の功績のかなりの部分は、エルヴィンのドラミングがあったればこそですけども、そういう猛者を敢えてサイドに加える事で、ホントに逃げ場をなくしていこうとしているんですね。

 


実際、エルヴィンの演奏は容赦がない。

 


また、すべてスタンダードを演奏しているはずなのに、何を演奏しているのか、初めて聴いたら、「はあ?」と言ってしまいそうなくらいに、なんだかはぐらかされているような感じです。

 


よく聴くと、演奏の最後になんとなく、それっぽいフレーズが聞こえるので、間違いなくその曲を演じているのがわかるのですが(笑)、あとはメロディをほとんど解体してしまったようなフレーズと、アドリブソロしかないので、ものすごくとっつきにくく、理解しづらいです。

 


私も初めて聴いた時は、全く良さがわからなかった。

 


というか、コニッツは、「わからない奴はわからなくてもいい」という態度で演奏してますよね。

 


モダンジャズは多分にそういうところがある音楽ですけども、ここまで聴き手に背を向けて演奏した例というは、果たしてあるのだろうかと(笑)。

 


コルトレインやオーネットからは、やっぱり、わかって欲しいという気持ちが目一杯伝わってきますよ、なんだかんだで。

 


ですので、このアルバムはハッキリ言いますと、万人向けではないし、初心者がいきなり聴いてわかるものではないです。

 


しかし、この冷血を装ったコニッツの演奏の背後には、アドリブに命を賭けている彼の情熱には気がつくと、俄然、この演奏の魅力が理解できてくるんですね。

 


コニッツの演奏をよくよく聴くと、とても危なっかしいところが結構あって、ホントにその場で自分を追い込んでギリギリで演奏しているのがわかります。

 


LPのB面の一曲目にあたる、「You’d be so nice to come home to」を聴くと、3分50秒辺りで唐突にコニッツの演奏がパッと途切れて、ベイスとドラムになるんですが、別にドラムソロがそこから始まるわけでもない、なんとも中途半端な時間がしばし続いて、思い出したようにコニッツがソロを再開するところがあります。

 


明らかに、コニッツはフレーズが出てこなくなってしまい、ベイスとドラムズが「おっ、どうするんだコレ」という状態になっているんだと思うんです。

 


他の所ではちゃんとエルヴィンのソロがスムーズに始まっているので、明らかにここのコニッツの沈黙は不自然ですけども、この演奏にコニッツはOKを出しているんですよね。

 


出てしまった音はもうしょうがない。それがアドリブなのだ。という彼の覚悟であり、それ以外のところがすごくいい演奏だから、コレでいいという考えなのでしょう。

 


その後、エルヴィンとコニッツは録音上の共演は多分ないと思いますが、この一期一会とも言える、トコトンまで、アドリブを追及した本作の素晴らしさがわかった時、ジャズファンの初心者を卒業していると言っても過言ではない、ジャズ史に残る、畢生の名演です。

 

 

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     本作が穏健なヴァーヴから出たのも驚きです。

細野晴臣のトロピカル三部作が好きな方にもオススメです。

Boulou & Elios Ferre『Gypsy Dreams』(Steeple Chase)

 


personnel:

Boulou Ferre(g),Eliot Ferre(g)


recorded in June 8&9,1980 at Sweet Silence Studios,Copenhagen

 

 

 


レコードのジャケットでは録音のスタジオ名しか書いてませんが、コペンハーゲンにある同名の録音スタジオがあるようですし、レーベルもコペンハーゲンにありますから、恐らく間違いないでしょう。

 


ブールー・フェレは一族がみんな音楽家みたいな(要するにロマという事なんですけど)環境で生まれた、典型的な神童でして、もう7歳くらいから天才と呼ばれていたようですね。

 


ブールーは弟のエリオと組んで多くのアルバムを作ってますが、本作は兄弟だけで作られています。

 


ブールーたちのようなギタースタイルの元祖は、なんと言ってもジャンゴ・ラインハルトですが(ブールーたちのお父さんのマテロと伯父のバーロウは、ジャンゴのバンドにいました)、ジャンゴのザクッとするようなキレ味の良さよりも、ブールーの魅力は、もっとエキゾチックでロマンティックな歌を奏でるところでしょうか。

 


相当なテクニシャンだと思いますが、そういうところを前面に押し出すような演奏は私はどちらかというと苦手なのですけど(なんだか、ベイスとドラムを覆い尽くして潰していっているように感じるんですね)、この兄弟は常に余裕を持ってギターを弾いていて、とても好感が持てますね。

 


主にブールーがリード、エリオがリズムをリズムを弾いていると思われますが、タイトル曲「Gypsy Dreams」のとろけるようなうつくしと言ったら!

 


ブールーの絶妙にヴィヴラートのかかった音がたまりません。

 


ジャケットにワザワザ「一切オーバーダビングしておりません」と書いてあるくらいに、ホントはそうなんじゃないのか?というくらいに2人の演奏の息がピッタリなのがすごいですね。

 


ギター2人だけですから、演奏が盛り上がると走ってしまいそうですけども、一切そうなりませんね。

 


モダンジャズというものからは、相当逸脱してしまっていると思いますが、開祖のジャンゴがそういう人ですから、いいではありませんか。

 


ここまですごい演奏なのに、どこか涼やかなのがニクいではありませんか。

 


ジャズという北米大陸に生まれた混血音楽が、今度はヨーロッパのジプシーと出会ってまた変容してしまったという事(しかも、ブラジル音楽がうまく入り込んでいますね)、それがまた音楽というものを面白くしているわけですね。

 


ジャズというのは、このように延々と変容し続ける音楽なのでしょう。

 


ある様式や形式ではなく。

 


スティープルチェイスはカタログを定期的に再発してますから、中古CDやLPをお店で探すと比較的安価に入手可能です。

 

 

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左がエリオで右がブールーです。

 

 

即興音楽の方向性を示した古典的名作

Derek Bailey『Solo Guitar vol.1』(Incus)
 


Personnel; Derek Bailey(g)

 

Recorded at London in February 1971

 

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デレク・ベイリーの死後に和訳された評伝。


ジャズという音楽は即興演奏の素晴らしさを改めて知らしめたという側面がありますけども(西洋音楽のように、楽譜に書き留め、それをセントラルドグマにするように音楽の方が、実は世界的に見ると少数派なのだが)、そこをものすごく極端なまで突き詰めて、全く独自の音楽に向かっていったのが、デレク・ベイリーです。

 

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ベイリーは無機質でユニークな音を出してますが、ギターのチューニングは一切弄ってはいなかったそうです。


彼はもともとは、ジム・ホールに影響を受けたジャズギタリストでしたが、セッション・ミュージシャンとして、シャリコマの仕事をしていました。

 


後のベイリーからは想像もつきませんが、カウント・ベイシーと一緒に写真に写っています。

 

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右端がベイリー。

 

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左でベイスを弾いているのがベイリーで、右端にいるのがカウント・ベイシー

 

 


そんな彼が、1960年に入ると、ベイシストのギャビン・ブライアースとドラムスのトニー・オクスリーとともに、メロディも和声もリズムも拒否した演奏というものを追及しはじめるんです。

 


このトリオは「ジョセフ・ホルブルック」と名付けられましたが、正規な録音は発表されませんでした(後に、当時の録音が発表され、かなり後になってからtzadikというレーベルからアルバムが出ました)。

 

 

 

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後年発売された、ジョセフ・ホルブルックの演奏。コルトレインの曲を演奏しております。

 

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後世に再結成して録音されたジョセフ・ホルブルック。

 


リズム、メロディ、和声を拒否して残るのが、即興演奏でした。

 


ジャズの即興は、むしろ、リズム、メロディ、和声に基づくもので、フリージャズはコレを意図的に壊しているんですが、拒否や否定まではさすがにしてません。

 


ベイリーはフリージャズがやっていたことすら飛び越えて、オチもヤマも設けずに即興演奏を行う。という、ものすごい理念というか意思表示をしたんですね。

 


こんな考え方に次第に共感する人々がイギリスだけでなく、ヨーロッパやアメリカ、果ては日本にまで影響を与えて、それらは即興音楽と呼ばれるようになりました。

 


とはいえ、そんなカッ飛んだ音楽はほとんどの人に理解されなかったので、なんと、ベイリーは、『インプロヴィゼーション』という本まで書いてしまいました。

 


もとはBBCラジオの番組で、ベイリーが様々ミュージシャンにインタビューした内容がもととなっているので、彼の考える音楽の理念や仕組みなどについて語っているというよりも、それぞれのジャンルのミュージシャンにとっての即興について具体的に考えながら、彼の提唱する、「ノン・イディオマティック・ミュージック」を浮き彫りにしていくというもので、彼の音楽を理解する上では重要な文献ですけども、私はどんな音楽であっても、やはり、まずは虚心坦懐に聴くことから理解していくことが何よりも大切だと思います。

 


1971年の作品ですから、当然のように、LPで発表されているんですが、A面、B面では、やろうとしている事が違います。

 


どちらもベイリー的としか言いようのない演奏である事は変わりませんけど、A面は全て「Improvisation」に4から7までの番号が振られているだけの4つの演奏があり、B面はそれぞれ、作曲された曲をベイリーの考え方で演奏した3曲が入ってます。

 


一方はいきなり、何もないところからの即興演奏であり、他方は作曲されたものを彼の考えに基づいて解体/再構成したもので、やはり、その違いはハッキリと聴き取れます。

 


4つのインプロヴィゼーションは、文字通り、その場での即興でして、起承転結も、盛り上がりも、一切拒否して作り上げた、ものすごく唯物的なギター演奏で、クールとか、そういう次元をはるかに超えた無機質感がただ事ではないです。

 


曲という要素はほとんど希薄で、徹底した意志に貫かれた演奏ですね。

 


一切の迷いや逡巡が感じられず、そこが私はとてもすぎなんです。

 


B面は、ものすごく解体されてはいるものの、曲を演奏しているという事から絶対に離れずに、かつ、A面のような完全即興の方法論、つまり、ノン・イディオマティックな演奏を貫徹するという、コレまた大変な事をやり遂げています。

 


こう言う発想がどういうところから生まれたのか、それは誰にもわからないと思いますが、とにかく、こんなユニークな音楽を生涯にわたってやり続けた(ジェーム・ブラウンと同じ日に亡くなっているのも象徴的です)デレク・ベイリーは、20世紀を代表するミュージシャンと言ってよいと思いますし、この演奏が与えた影響は、計り知れません。

 


しかも、その彼がジャズギタリストであり、現代音楽の演奏家のような、音楽の高等教育を受けたエリートではなかった点も興味深いですね。

 

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エリントン生誕120周年を記念しての第5回目の曲目です!

エリントンすごいぜ! vol.5 曲目

 

4/20に夜学バーbratで行われた、『エリントンすごいぜ!』の第5回目の曲目です。

 

当初は全曲、『The Popular 』の曲目通りに聴いていく予定でしたが、莫大な時間になってしまう事がわかり、今回で終わらせるために、後はB面の三曲のみで行う事としました。

 

アカデミックな場ではなく、あくまでも楽しく聴く事を優先するための措置ので、ご了承ください。

 

また、B面一曲目「The Twitch」は新曲のため、同じ録音でアルバムから外された「Caravan」に差し替え、後は、「The Moochie」と「Sophisticated Lady」をかける事としました。

 

個人的には、今までで一番面白くできましたね。

 

ようやく地に足がついてきた感があります。

 

1.オープニング

Caravana  ; from Brenda Navarrete『Mi Mundo』

 

2.『The Popular』B面

Caravan

  1936.8.9 Hollywood

  1937.5.14 NY

  1954.10.8 Chicago

  1962.9.17 Sound Makers, New York

  1966.5.9 RCA Victor’s Music Center of The World, Hollywood

 

The Moochie

  1928.10.1 NY

  1930.4.3 NY

  1945.2.24 LA

  1952.7.2 Columbia 30th Street, NY

  1966.5.9 RCA Victor’s Music Center of The World, Hollywood

 

Sophisticsted Lady

  1933.2.15 NY 

  1940.10.1 Chicago

  1966.5.10RCA Victor’s Music Center of The World, Hollywood

 

3.エンディング

  会津磐梯山 from 民謡クルセイダーズ『Echoes of Japan』

 

次回は、モダンジャズと格闘していたエリントンを1950年代の音源を中心に聞いていから予定で、8月を予定しています。お楽しみに。

 

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注意!日程変更となります!

イベント日程の変更のお知らせです!

 

エリントンすごいぜ! vol.5は、お店側の都合により、4/20となります。

 

時間はそのままです。

 

4/29はエリントンの誕生日で、今年はちょうど生誕120周年に当たります。

 

偶然ですが、今回のイベントは日程変更によってその前夜祭となりますね。

 

よろしくお願いいたします。

菊地成孔を聴く 第1回の曲目です!

疲れました(笑)。

 

1990年代の、様々な活動をとても一回でなど無理なのですが、現在につながっていくものをチョイスして聴いていきました。

 

菊地さんは実はこの時点では全くリーダー作品が1つもなく、スパンクハッピーティポグラフィカグラウンド・ゼロのメンバーの1人として活動しながら、スタジオミュージシャンとしての膨大な仕事をこなしていたという、業界内での知名度はとてもあったんですけども、一般的な知名度はとても低く、知る人ぞ知る存在でした。

 

美魔女と共演、突然契約終了、アニメのサントラが見事(メーザー時代の恩師である橋本一子さんとなぜか相似)、J-POPとしては、クオリティに反比例して売れない(エロスとタナトスがありすぎる)。という今日まで続く菊地さんの「無冠の帝王」としての宿命は、もうすでにこの段階で確立してしまっている事がよくわかります。

 

次回は、11月を予定してます。

 

内容はONJQ、東京サヴィヌルバッハ、DCPRGを中心に聴いていく予定です。

 

乞うご期待。

 

曲目

 

A-side

1.Space Lion  from 菅野よう子 OSTCowboy Bebop 1』

2.Stay from 原みどり『アマロ・ジャバロといえた日』

3.Crazy People in The Secret Club from

橋本一子『high exentrique』

4.ゴリラ from 夏木マリ『Gollira』

5.うわさのバッファロー from 倉田久美夫『うわさのバッファロー

6.Preach from Kazmi with Rickies『3つのmute』

 

B-side

1.オー!神様 from Spank Happy『My Name is』

2.USSR ? from Spank HappyFreak Smile』

3.フローティング・オペラ〜高速道路from Tipographica『Floating Opera

4.A Better Tomorrow+Say A Little Prayer from Ground Zero『Plays Standards』

 

 

 

4.A Better Tomorrow+Say A Little Prayer