mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

ジャズはこの5人によってとんでもないトコロに行ってしまったのだ!

Miles Davis『Sorcerer』(columbia)


personnel ;

Miles Davis(tp), Wayne Shorter(ts),

Herbie Hancock(p), Ron Carter(b),

Tony Williams(drms)

 

Miles Davis(ts), Wayne Shorter(ts),

Frank Rehak(tb), Paul Chambers(b),

Jimmy Cobb(drms), Willie Bobo(perc),

Bob Dorough(vo), Gil Evans(arr)

 

Recorded at 30th Street Studio B, NYC on May 16, 17, 24, 1967,

and

at 30th Street Studio A, NYC on August 21, 1962

 


このアルバムは、ジャズを本格的に聴いてみようと思って買った最初のアルバムでした。


理由は私が知っているジャズミュージシャン、マイルズ、ハンコック、ショーターが入っていたからです(笑)。

 

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マイルズとショーター。とうとうショーターも2023年に亡くなりました。。


いっぺんに聴けるなんてなんてお得であろうと思ったんですけども、コレ、初めて聴いた時は全くわかりませんでした。


異様なまでに静謐で、とてつもないテクニックで演奏されているのはわかったんですが、余りにもとらえどころがないというか。


しかも、全曲同じに聴こえてしまい、最後の1962年のボブ・ドロウのヴォーカルが入った演奏ばかりが耳に残るアルバムなんですよね。


その後、いろいろなマイルズのアルバムの中で最も難解なアルバムである事が後でわかってくるんですが(笑)、とにかく、とてつもないことだけはとにかくわかる。という手に負えないアルバムのトップクラスでした。


コレと比べると、テナーサックスがジョージ・コールマンの頃のクインテットの『Four and More』のわかりやすいことわかりやすいこと。


当時、18歳くらいであった天才少年のトニー・ウィリアムズが煽りまくり叩きまくりの中、全員が燃えに燃えまくるライヴは(しかし、根底にクールネスが常にあります)、誰が聴いても興奮する、とてもわかりやすい演奏であり、 ジャズ初心者にオススメ作品です。

 

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トニー・ウィリアムズ。こんな童顔で小柄な人が演奏しているとは思えないですね。

 

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2023年、とうとうクインテットの生存者はロン・カーターとハンコックのみとなりました。。


それに対して、このクインテットの演奏は明らかに別モノです。


今にして、何が難解であったのか、考えてみますと、リズムセクションに原因がありますね。


ハンコックはマイルスやショーターがソロを取ると、ほとんどバッキングを弾きません(自叙伝を読むと、マイルスがハンコックに「弾くな」と言ったようです)。

 

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モダンジャズ最後の巨人となってしまった、ハンコック。


トニーも、あのライヴのような叩き方よりも、後の『In The Silent Way』のような比較的ミニマルな反復を基調にしており(しかし、全く単調な作業ドラミングではありません)、ロン・カーターのベイスは余りにも自由奔放で、もはやリズムセクションですらありません。


こうしてみると、ボトムがフワフワとしているんです。


しかも、その上で演奏するマイルスとショーターには、調性感がかなりありません。


すべての曲がそのように作曲されているからで、驚くことに、ショーター、ウィリアムズ、ハンコックがそれぞれ作曲しているんですが、全員が似たよう曲(というか、全部マイルズが作曲しているような錯覚ですね)になっているのもすごいですね


調性をものすごく薄くすると、曲調な似てきてしまうんでしょうねえ。


シベリウス交響曲もそういえばそんな感じです。


なんだかこうして書いていると、フリージャズみたいですが(ボンヤリ聴いていると、オーネット・コールマンのカルテットみたいに聴こえるんです・笑)、明らかに強力なルールが存在しているんですね。


そのルールに基づいて、自由奔放に全員が演奏しているので、フリージャズになりそうでならないわけです。


この余りにも高踏的な演奏を当時理解する人は余りいなかったようで、コレと次回作の『Nefertiti』はマイルズのアルバムとしては、悲劇的に売れなかったらしいです。。


マイルズ史上、参加メンバーがこんなに渾然一体となって1つのサウンドをグループで完成させたというのは、多分、このクインテットだけであり、本作はその極点であり、アコースティックジャズが到達した極点なのであり、未だにコレを超えるアコースティックジャズというものは存在しません。


さて。


このアルバムのもう一つの謎は、このようにとてつもないところに上り詰めてしまったマイルズたちの演奏の最後に、全く脈絡もなく、1962年の、ギル・エヴァンスがアレンジした2分にも満たない演奏が付いているのだろうか?という事なんですが、マイルズを知る上でも重要な『自叙伝』でもよくわかりませんし、プロデューサーである、テオ・マセロの発言も読んだことがないです(もし、あったら教えてください)。


コレが誰の意図でつけられたのか、よくわからんのですが、マイルズという人は、録音してしまうと、あとはプロデューサーに任せきりで、出来上がったアルバムにもそれほど興味を示さず、もう次の事を考えているような人だったらしいので、最後の曲をつけたのは、多分に、テオの判断なのでしょう。


テオの編集は、エレクトリック期になると更に大胆になっていきますが、多分、ココでもその鱗片が出ていたのではないでしょうか。


恐らく、クインテットの演奏を聴いていると「こりゃ、とんでもないアートだ!」とテオは驚いたんだと思います。


そして、同時に「アート過ぎて、マイルズが怒るだろうな、コレ」とも思ったのか、どこか壊してみたい。と暴力的に思ったのかは、2人は既に故人なので真相はもうわかりませんが、あの2分に満たない、それ自体はものすごくヒップでカッコいい演奏なのですが、この演奏が最後に来ることで起こる、絶妙な脱構築が、なんだか、ゴダール作品の唐突に音楽がブツリと切れたり、また、始まったりという、あの、暴力的なクセに美しくてオシャレ感すらある、あの感覚に近いものがあるのですね。

 

どこかケムに巻かれていると言いますか。


ウットリしてたところにスコーン!と打ち込まれるようなですね(笑)


そういう、マイルズとテオによる「共犯関係」が、まだジャブを食らわすくらいですけども、少しずつ始まりつつあるという意味でも重要な作品です。

 

始めは謎に思うかもしれませんが、周辺のいろんなジャズを聴いていくと、このアルバムの途方もなさがわかってくると思います。

 

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