mclean-chanceの「Love Cry」

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今聴いてもコルトレインの演奏は凄まじいです!

John Coltrane『Meditations』(Impulse !)

 


personnel;

John Coltrane(ts,perc),

Pharoah Sanders(ts,perc),

McCoy Tyner(p), Jimmy Garrison(b),

Elvin Jones(drms), Rashid Ali(drms)


recorded at Rudy van Gelder Studios, Englewood Cliffs, New Jersey, on November 23, 1965

 


「The Father and The Son and The Holy Ghost」〜「Compassion」と、「Love」〜「Conséquence」〜「Serenity」がそれぞれ切れ目なく演奏される、組曲形式になっている、いわば、『史上の愛』の系譜の演奏と言えるのですが、LPのA面にあたる演奏は、ジャズ初心者には到底オススメできませんし、ましてやコルトレインを聴いてみたいという方が最初に手を出すべきアルバムではない事をココに断言しておきましょう。


しかしながら、それはこのアルバムは聴くには値しない演奏だとかそういう事を言っているのではなくて、このアルバムはある程度、コルトレインのアルバムを聴き進めた方でないと、その圧倒的なパワーと混沌に聴き手がはじき飛ばされ、それがそのままジャズへの拒絶になりはしないだろうか?という危惧を持つからなのです。


かように、ジョン・コルトレインの演奏はジャズという音楽にあるまじき、シリアスネスと過剰さを抱えた、いわば、ジャズが生み出した、最大の鬼子であり、困った事に、彼の圧倒的な存在が海外のフリージャズの演奏家をものすごく勇気づけてしまったんです(笑)

 

かく言うニッポンのリスナーやジャズメンはそう言うシリアスな部分にものすごく共鳴してしまい、モダンジャズの需要がコルトレインを介してのものとなってしまった。という事もあります。


実際、60歳以上のジャズファンには熱狂的なコルトレインファンは今でもおります。


余計なお世話かもしれませんが、コルトレインを聴くというのは、ジャッキー・マクリーントミー・フラナガンのようないい塩梅ののジャズを聴くというものとは全く異質ない世界であるのです。

 

それでありながら、同じ「ジャズ」というジャンルに両者が併存しているところに、このジャンルの凄さを知ってもらいたいわけなのですが(笑)。

 

それはさておき、以上のことを踏まえ、コルトレインをある程度聴き進めた方。として話を進めますが、コルトレインの60年代というのは、大きく分けて2つニ分けていいと思うんです。

 

アトランティックからインパルスまでの、黄金のカルテットの形成とその名演連発期、そして、そのカルテットの解体と新クインテットの結成期の2つのです。


このアルバムは真ん中の、次の活動への移行に向かおうとしている時期のものでして、要するに過渡期の演奏と言ってよい。


これが、黄金のカルテットにファロア・サンダースとラシッド・アリという、次のクインテットのメンバーとなるミュージシャンが録音に加入している事からも明らかです。


そして、その演奏が見事に2つに分裂してしまっているんです。


それはとりわけ、A面の演奏に著しいです。

 

出だしの曲名にたじろぎますが(笑)、そのアルバート・アイラーを思わせる曲名通りの、シンプルなメロディの繰り返しはやがて、コルトレインの凄まじいソロ演奏に変貌していき、やはり、アイラーとコルトレインは別モノなのだ。という事が改めてわかるわけです。


そのコルトレインのソロは思いの外短く、ファロアのほとんどノイズ撒き散らしみたいなソロに移ります。

 

この頃の彼のテナーの演奏は実に素晴らしいですね。

 

多分、トレインに言われるがままに無心に吹いているのがよいのでしょう。

 

ホーンの演奏が荒れ狂っている割には、リズムセクションは律儀に、いつもの「黄金カルテット+1」に徹しているのがミソですね。

 

やがてトレインとファロアがそれぞれに同時にソロを取る展開ですが、これも思いの外、ぶつかるような演奏にならず、トレインがいい具合にアイラー的なテーマに戻りつつ、やっぱり咆哮したり、テーマに戻ったりという(笑)


そのまま演奏は続けて「Compassion」になり、コレも簡単なトレインのテーマが演奏されると、次のソロはマコイ・タイナーのピアノになります(その間、トレインとファロアは打楽器演奏をしていると思われます)。


問題はこの演奏でして、このピアノトリオ+3になった瞬間、荒れ狂っていたかに聞こえた演奏が黄金カルテットの演奏にたちまち戻ってしまうんです。 


つまりですね、演奏がトレイン/ファロアと、タイナー/ギャリソン/エルヴィンの2派に分かれてしまっています。


ちなみに、ラシッド・アリは、エルヴィンのドラミングに合わせて演奏していて、ここでは完全にサポートメンバーに徹しています。


このアルバム、バンドの内実がかなり抜き差しならないものになっている事が音演奏にハッキリと刻印されてしまっているんですね。


B面はA面ほどそれが目立たないように、恐らくはトレインの工夫で演奏の構成を考え直したものなのだと思います。マッコイとトレインのソロの美しさが際立ちますね。


完成度はB面が高いですが、私は、問題のあるA面が面白く思います。


その後、間もなくマコイ・タイナーとエルヴィン・ジョーンズはそれぞれ相次いで1965年12月、66年1月日脱退してしまい、黄金カルテットは終わってしまいます。


しかし、コルトレインは些かの停滞もなく、新メンバーを加入させ、そのままツアーと録音を猛烈に行うのですが、しかし、それは1967年のトレインの突然の病死によって2年も続きませんでした。

 


つまり、このアルバムはカルテットの齟齬がそのまま記録されているものであり、かつ、すでに晩年の演奏という事なのです。


そして、恐るべき事に晩年とは到底思えない、異様なまでのパワーが全編にみなぎっているのです。

 

こういう、事故のようなものが演奏の中に多く含まれるのもまたジャズの面白さです。

 

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