mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

「アメリカン・トリオ」のライヴです!

Keith Jarrett, Charlie Haden, Paul Motian『Hamburg ‘72』(ECM)

 


Personnel;

Keith Jarrett(p, ss, fl, perc),

Charlie Haden (b),

Paul Motian(drms, perc)


recorded live at The NDR-Jazz-Workshop in Hamburg, June 14, 1972

 

 

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ハンブルグに本拠地を持つ公共放送局、NDR(Norddeutcher Rundfunk 北ドイツ放送協会)のテレビ番組、「Jazz Workshop」の1972年6月14日のスタジオライヴが。2014年にECMから発売されました。


キースのトリオというと、ギャリー・ピーコックとジャック・ディジョネットのものが有名ですが、その前に、チャーリー・ヘイデンとポール・モーシャとのトリオがありました。


1960年代末から活動が始まっているようで、アトランティックからアルバムがでているんですけども、現在ではあまり注目されていないようです。


このトリオにデューイ・レッドマンを加えたのが、いわゆる、「アメリカン・カルテット」(厳密にいうとカルテットではないですけど)なのですが、このトリオもピアノトリオとは言えないのですね。


というのも、キースはピアノ以外の楽器を演奏していることが多く、ポール・モーシャンもパーカッションの演奏も行います。

 

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よって、このトリオは、もはやピアノトリオとは言いがたく、その音楽性を考えると、むしろ、「アメリカン・トリオ」と言うのが正しく、これを拡大させたのが、「アメリカン・カルテット」と考えた方が良さそうです。


ベイスとドラムズが変わると、こんなにも音楽性が変わるのか。というくらいに、1980年代のトリオとは違立てますね。

 

「スタンダード・トリオ」ではキースはピアノに専念してますし、もはや、キース自作曲を演奏する事もほとんどなくなりました。


この「アメリカン・トリオ」のライヴはいい意味でラフで開放的であり、スタンダード・トリオ」のような濃密なアンサンブルではないです。


キースがかなり頻繁に楽器を持ち替えているので、行き当たりばったりの演奏ではなく、演奏の展開はある程度決めてはいると思いますが、先程書いたように、演奏はカチカチのキメキメではない、ルーズさがとてもいいです。


恐らく、決め手となっているのは、ポール・モーシャンの、手数の少ない、一聴、雑に聞こえる、隙間の多いドラミングであり、演奏に絶妙な余白を作っていて、演奏が決して一点に集中しないようになっているのではないかと。

 

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チャーリー・ヘイデンの地面に根っこが生えているような安定感とショベルカーで地面を掘り返すような気持ちよさのあるベイスは、このトリオに安定をもたらし、その上でキースは好きなように絵を描いていますね。

 

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個人的には、このトリオの方がスタンダード・トリオよりも面白く思います。


キースのソプラノサックスは、やはり、彼のあの唸り声の延長であり、彼の歌そのものである事がよくわかります。


コレはフルートにも言えますが、要するに、キースからは歌心が溢れて溢れて仕方がなく、それに忠実であると、ピアノの演奏だけではもう収まりがつかないのでしょう。


ピアノを弾きながら、身体を捩らせ、唸り声を上げてしまうのも、結局、同じことなのでしょうね。


ECMが録音したものではないので、演奏があのキラキラと透明な音ではなく、より実際のこのトリオの音に近いのも嬉しいですね。


もう少し、このトリオのライヴ盤を聴いてみたいです。

 

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インパルスにしては意外にも肩肘張らないライブの快作!

Milt Jackson『That’s The Way It Is』(impulse!)

 


personnel;

Teddy Edwards(ts), Milt Jackson(vib),

Monty Alexander(p), Ray Brown(b),

Dick Berk(drms)

 


recorded at Shelly’s Manne-Hole, Hollywood, Carifornia, August 1 and 2, 1969

 

ミルト・ジャクソンといえば、MJQのメンバーとして有名ですが、並行して自身のリーダー作も出していたんですけども、コレもインパルス!から出された「シェリーズ・マンホール」でのライヴをアルバムにしたものです。


コレを聴くと、MJQでの非常に抑制されたおすましなヴァイブラフォンの演奏よりも、ミルトの持ち味はやっぱりコッチなのだな。というのがよくわかりますね。


まあ、ジャズを熱心に聴いている人には釈迦に説法みたいなものですけども、ミルトの名作『Milt Jackson Quartet』、キャノンボール・アダレイの名盤、『Things are Getting Better』などを聴いていれば、ミルトというのは、非常にソウルフルは演奏をする人である事はよく知られています。

 

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タメの効いたミルトの演奏はできそうでできないのです!

 


MJQのコンセプトは事実上、ジョン・ルイスによって決められており、ミルトも納得した上での演奏ですから、あれはあれで素晴らしいものです。


しかし、本来の持ち味を抑制し続けるというのは、やはり、ストレスだったのではないかと思うんですよね。


それが、MJQを離れたこういうライヴという場所で思い切り出てしまっているんですね。


MJQは売れっ子でしたので、ミルトにとってはギャラがよかったというのは、正直あったのでしょう。


結局、1974年の解散まで、彼は在籍しました。


ヴァイブラフォンはジャズではそんなにニーズがあるわけではなく(実際、名手と言える人はホントに少ないです)、1960年代はロックの大盛況もあり、ミルトとしては、MJQから離れるのは、得策ではないと考えたのでしょう(その後、MJQは再結成され、1999年に亡くなるまで、ミルトはMJQに在籍し続けました)。


実際、それによってMJQは名盤、名演を出していたので、よかったわけですね。


そんな彼がヒマな時に臨時で編成されたクインテットと思いますが、ドラマーのシェリー・マンの経営する、「シェリーズ・マンホール」で行われたライヴは、肩の凝らない快作として大変素晴らしいものです。

 

 

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ジャケット裏に載っている当時の「シェリーズ・マンホール」。

 


演奏の核を握るのは、「featuring 」とアルバムジャケットに書かれているだけあって、ズシンと重力感があってバンドを推進させる、レイ・ブラウンのベイスですね。 

 

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レイ・ブラウン。彼もオスカー・ピーターソンとのトリオで売れっ子でした。

 


彼もオスカー・ピーターソンの不動のトリオですから、ものすごく忙しかったのだと思います。


ライナーノーツを見ると、なんと、驚くべき事に、レイ・ブラウンはマネージャー業を副業としてたらしく、ミルトのマネージャーだったのだそうです(笑)。


よくそんなヒマがあるものだと。


お互いミュージシャンとして別々に行動していて、ヘタすると一方がアメリカにすらいない可能性すらあるのに、どうやってマネージメントしてたんでしょうか(笑)


結局、ブラウンが雇って別な人が事実上マネージャーだったかも知れません。


その辺が謎ですが(笑)、そんな忙しい合間を縫っての演奏という、慌ただしさはほとんど演奏からは感じることはなく、非常にリラックスした感じのいい意味でラフで普段着なライヴなのがいいですね。


テディ・エドワーズのいい湯加減のテナー、非常にハッピーなテイストのピアニストのモンティ・アレクサンダーがコレまたいいですね。


インパルスというと、どうしてもコルトレインのカラーが強いのですが、こんな当時のジャズの日常風景のようなアルバムも出ていたんですね。

 

 

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実はかのトリオはキースがリーダーというわけではない事がわかる傑作

Gary Peacock『Tales of Another』(ECM)

 


personnel;

Keith Jarrett(p),

Gary Peacock(b),

Jack DeJohnette(drms)

 


recorded at Generation Studios, New York, February, 1977

 

 

ギャリー・ピーコックのリーダー作で、すべて彼の作曲ですが、メンバーが完全にかのスタンダード・トリオです。

 

チャーリー・ヘイデン、ポール・モーシャンによるトリオから発展させた「アメリカン・カルテット」は、行き着くところまで行き着いたと感じたのか、事実上解散してしまいました。

 

そして、キースにとっての第二のトリオであり、彼の活動の最長のユニットとなったのがこのギャリー・ピーコックとジャック・ディジョネットというトリオでした。

 

コレを機軸に、キースは1980年代もまた多様な活動をしていくのかと思われたのですが、このトリオとソロにほぼ活動が限定され、しかも、そのまま2010年代まで続きました。

 

キースが2018年の病気の後遺症によって身体が不自由となり、更に2020年にピーコックが亡くなりましたから、もうこのトリオは事実上消滅しまったわけですけども、本作はその第一歩という事で、実は大変重要な作品だと思います。


よく、スタンダードトリオというと、キースばかりが注目が集まりがちです。


実際、彼の身を捩らせ、唸り声を上げながらのエクセントリックな演奏というのは凄まじいものがありますから、どうしても彼の言動に注目が集まるのもムリはありません。


しかしながら、このトリオ、よくよく考えてみると、すごいメンツですよ(笑)。


ギャリー・ピーコックは、ビル・エヴァンスと共演したかと思えば、かのアルバート・アイラーとも共演しているようなベイシストであり、更にトニー・ウィリアムズのリーダー作にも参加していたりするような、かなりの振り幅で活動しているベイシストです。

 

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最初の奥さんはミュージシャンのアーネット・ピーコックでした。1970-72年に京都に在住し、禅の修行に傾倒し、それは生涯にわたって続けられたようです。

 

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アーネット・ピーコックはかなり前衛的なミュージシャンとして知られます。後にジャズピアニストのポール・ブレイと結婚しました。

 


ジャック・ディジョネットジャッキー・マクリーンに見出され、やがて、チャールズ・ロイドのカルテットのメンバーとして、キースとともに注目を集めると、彼とともにマイルス・デイヴィスのグループへ参加しているような凄腕です(キースの在籍はかなり短期間ですが)。


キースとディジョネットが久々に一緒に演奏するところに、かなり経歴の異なるギャリー・ピーコックが参加したことが、このバンドにある種の緊迫感がもたらさせたと思っていて、その彼を一応のリーダーに据えて(ピーコックの曲を演奏するからでしょうか?)、内実は3人は完全に対等な立場で演奏しています。

 

なので、特徴は3人の濃密という他ない、そのインタープレイを中心とするアンサンブルの凄さです。

 

このアルバムでのピーコックの演奏はそれほど個性的ではなく、むしろ全体のアンサンブルを考えて控えめですが、本作はリーダー作というのもあるからなのか、いつもより自己主張を感じます。

 

そして、それは後にスタンダード曲を中心に演奏したり、時には完全即興で演奏しても、実は全く変わらない特徴でもあり、要するに、あのトリオを「スタンダードトリオ」と呼んでしまうのは間違いである事がわかりますし(スタンダード「も」演奏するトリオというのが正確でしょう)、キースがリーダーであり、すべてを決めているようなトリオでもないという事は演奏から感じられます。


どの曲の演奏も素晴らしいですが、LPでいうところのB面の三曲、「Trilogy1」「同2」「同3」の次第に上り詰めていくような構成力はやはり圧巻ですね。

 

スタンダード曲を演奏している彼らしか聴いた事のない方には本作は特にオススメします。

 

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現時点のカーリーのジャズヴォーカルの最高傑作!

Carly Simon『Moonlight Serenade』(Colombia)


Personnel;

各人Wikipediaを見るように(笑)

 


Recorded at Fox Force Five, Hollywood, (Trucks) and The Cutting Room, New York(vocals), and Westlake Recorders, Hollywood, (strings), Reagan’s Garage, Los Angeles(all other recording), 2004-2005

 

 


カーリー・サイモンが2005年に3度目のジャズアルバム(『Film Noir』はジャズアルバムとカウントしてません。あくまでもジャズを語っているという事で他意はございません!。あしからず!)を出した事は日本ではさほど話題にもならなかったように記憶しますが、アメリカ本国ではなんと最高位が第7いという、彼女にとっても久々の大ヒットアルバムとなりました。


第一作目の『Torch』から20年以上の年月を経てまたしてもジャズヴォーカルな挑戦するというのは、相当な根性ですよね。


何しろ、ジャズというものが売れないわけですし、ヴォーカルというのは、ホントに好きな人でないと手を出す世界ではないです。


そして、出すたびに、ヴォーカリストとしての深みがますます増していくのが驚きですね。

 

表面上は特にスタイルが変わった様子はなく、年齢から音域が多少下がりましたが、それはマイナスには全くなっていないどころか、むしろ、歌に深みを与えています。


ここまで、見事にジャズのスタンダード(今回はカーリーの自作曲はありません)を歌い上げて仕舞えば、もはや、彼女はジャスヴォーカリストと呼んでも一向に差し支えないでしょう。


それにしてもとてつもない精進だと思います。


しかし、そういう大変な努力など微塵に見せず、淡々と歌い上げるところが実に素晴らしいです。


別に泣ける歌を歌っているわけでもないのに妙に涙腺が緩んでしまいました。

 

もうどこかいいとか悪いとかそういう事を述べる気になりませんが、個人的にには、「Alone Together」が一番気に入りました。

 


近年、あまりアルバムが出ていないようですけども、やはり、第四作目を聴いてみたくなるのは、欲張りというものでしょうか。

 

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ドン・チェリーとキース・ジャレットは意外と近いのかもしれません。

Don Cherry『Relativity Suite』(JCOA)

 


Personnel:

Don Cherry(composer, conductor, tp, conch, voice, perc),


Charles Brackeen(ss, as, voice),

Carlos Ward(as, voice),

Frank Lowe(ts, voice),

Dewey Redman(ts, voice),

Sharon Freeman(frh),

Brian Trentman(tb),

Jack Jeffers(tuba),

Carla Bley(p), Charlie Haden(b),

Ed Blackwell(drms), Paul Motian(drms),


Leroy Jenkins(violin),

Joan Kalisch(viola), Nan Newton(viola),

Pat Dixon(cello), Jane Robertson(cello),


Moki Cherry(tambura),

Selene Feng(ching)

 


recorded at Blue Rock Studio, New York City, February 14, 1973

 

 


フリージャズからも自由になってしまった、真の自由人、ドン・チェリーが、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ(以外JCOA)と共演した組曲


1970年にJCOAがドン・チェリーから委嘱された曲のようで、それをスタジオ録音したもののようです(もしかしてライヴでの演奏が先で、スタジオ録音が後なのでしょうか)。


JCOAのアルバムにはすでにドン・チェリーは参加しておりますが、今回は完全にドン・チェリーがイニシアチブを取った、彼の作品と言ってよいと思います。

 

 

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オーネット・コールマンとのカルテットは当時のジャズに少なからぬ衝撃を与えましたが、その後のドン・チェリーの活動をフォローしているジャズファンは多くないのではないでしょうか。

 


組曲の最初「マントラ」はタイトル通りにドン・チェリーのお経から始まるのがドギモを抜かれますが、やがてカーラ・ブレイのシンプルな繰り返しのピアノが入ってくると、ちょっとジャズなので安心してきます。


アレッ。この展開どこかで聴いたような。と思ったのですが、キース・ジャレット『Survivors’ Suite』の冒頭と似てますよね。


コレもどこだかわからない民族音楽のような音楽がやがてデューイ・レッドマンのテナー、キースのソプラノよるユニゾンが始まり、そこにチャーリー・ヘイデンの深いベイスの音がかぶってくるとジャズになっていきます。


よくよく考えたら、「アメリカン・カルテット」のキース以外のメンバーって、JCOAですよね(笑)。

 

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ドン・チェリーも参加するカーラ・ブレイの畢生の大作、『Escalator Over The Hill』でもチェリーがソロを取り始めると演奏の様相がガラッと変わって別世界になります(笑)。

 


実はキースって、ドン・チェリーに案外影響受けているのかもしれませんね。

 

チェリーもお経を唱えたり、独特の味わいのある歌やヴォイスを駆使する、マルチ楽器奏者です。


このアルバムもカーラやヘイデンの演奏が入ると俄然ジャズになってくるのですが、そこにチェリーの非常にシンプルな歌声、トランペットなどが絡んでくると、何か時空がフニャフニャとしてきて、全体が弛緩していき、ジャズである事から逸脱しようとします。

 

しかし、そこをJCOAが食い止めているような気がします。

 

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ドン・チェリーカーラ・ブレイチャーリー・ヘイデンの間の弛緩と緊張感が本作のキモです。

 


この弛緩と緊張の絶妙なバランスが本作の面白さでありまして、決して生煮えの未完成音楽が提示されているわけではありません。

 

このゲテモノ、キワモノと呼ばレッドマンかねないスレスレのところを余裕綽々で渡り歩いていたのが、ドン・チェリーの凄さであり、今聴いてもその衝撃はものすごいものがあります。

 

キースと明らかに違うのは、超絶的なテクニックを競うような方向には決して向かっていかず、どこまでも解放的でピースフルな世界を追及している事であり、シリアスで没入的なキースとは真逆と言えます。

 

全体におけるチェリーの演奏はそれほど多くはないのに、結果としてドン・チェリーの世界に誘われてしまうところが、やはり只者ではありません。

 


ジャズが何か別の音楽に変貌していく事への大きな示唆を、余りにも呆気なく成し遂げてしまっていて、かつ、キースのような先鋭的なジャズメンにすら影響を与えてしまうという偉大さが、チェリーの飄々とした音楽活動によって過小評価されている気がするのは、とても残念です。

 


ドン・チェリーキース・ジャレットの共演を80年代に見てみたかったですね。

 

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キースの1970年代の総決算的な傑作!

Keith Jarrett『Survivors’ Suite』(ECM)

 


personnel;

Dewey Redmam(ts, perc),

Keith Jerrett(p, ss, bass recorder, celeste, osi drums),

Charlie Haden(b),

Paul Motian(drms, perc)

 


recorded at Tonstudio Bauer, Ludwigsburg, Germany,

April 1976

 


アメリカン・カルテットの最終作は、なんと、LP両面にわたるタイトル曲のみという大作組曲です。


キースの演奏するベイス・リコーダーに、デューイ・レッドマンとポール・モーシャンのパーカッション、チャーリー・ヘイデンのベイスが絡む、何やらどこかの民族音楽のような冒頭は、やがて、ベイス・リコーダーのオーバーダビングまで駆使して、ソプラノサックスとテナーサックスによるテーマ、テナーとピアノによるテナーに漸次移っていくことで次第にジャズになっていくのですが、スタンダード・トリオしか聴いた事のない方にはこの展開は驚いてしまうかもしれません。


しかし、キースには、マルチ楽器奏者としての側面と、それをダビングしてアルバムを作ってしまうという、その後の彼からはほとんど見られなくなってしまうのですが、本作はそれを最も駆使した、サウンドクリエイターとしてのキースの才能が最大限に発揮されたアルバムです。

 

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キースが様々な楽器を演奏するミュージシャンである側面は無視できないと思います。

 


俗に「アメリカン・カルテット」と呼ばれますが、実際には、ギターやパーカッションが加入する録音が多いので、この呼び方はあまり適切ではありませんが、1960年代末から1970年代初頭に活動していた、キースとチャーリー・ヘイデン、ポール・モーシャンによるトリオが核となって結成されたグループである事は間違いありません。

 

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キース、ヘイデン、モーシャンのトリオがこのグループの核ですので、かなりアメリカーナ寄りですね。

 


本作はカルテット編成ですが、オーバーダビングをかなり駆使していますので、ココでの演奏は最早、ライヴで演奏するには、かなり困難です。

 

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チャーリー・ヘイデンもまた、キースとは違う自由な活動をしていたミュージシャンでした。

 


このアルバムの発想には私は前段階があると思ってまして、それは、1960年代のジョン・コルトレインのカルテットの末期に作られた、『至上の愛』や『トランジション』のような大作志向と、それをより、バンドサウンドとして再構築した、アート・アンサンブル・オブ・シカゴを前提としていると思います。

 

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AEOCの、メンバーが有機的に自由闊達なアンサンブルを行うところはこのキースのグループに多大な影響を与えたのではないか。

 


しかし、ほとんどロックの録音のようにダビングする事を前提としたような作り方というのは、当時は、マイルス・デイヴィスの大作『ビッチェズ・ブルー』くらいしかなく、しかしながら、とりわけ後半冒頭はほとんどセシル・テイラーを思わせるようなフリージャズのような展開をしていくあたりが、マイルスのそれとは明らかに異質です。

 

 

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デューイ・レッドマンは決して器用であったり、上手いミュージシャンではありませんが、キースが求める「声」を持っています。


キースを含めた各メンバーは、ソロを取るというよりも、あくまでもキースが意図するところのアンサンブルに徹しきっており、そういう意味で、コンポーズやアレンジが何よりも最優先されている音楽であり、しかしながら、その演奏はキースの完全即興のソロピアノと実は似ていて、彼には即興と作曲の垣根が実は余りない事もわかります。

 

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アルメニアアメリカ人である、ポール・モーシャンは、1990-2000年代の最重要人物でした。

 


このアルバムは1970年代のキースの実に多様な活動の1つの集大成であるとも言え、以後、このような方法論でキースがアルバムを作ることがほとんどなくなり、以後、彼の活動はスタンダードトリオとソロピアノにほぼ限定されていきます。


その意味でも本作は「スタンダード以前」を考える上で大編成重要なアルバムであります。


全部聴くと50分近い組曲ですから、決して聴きやすいとは言い難いですけども、彼の多面性を知る上で決して外す事のできない傑作であると思います。

 

 

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驚くべきことに、もはやキース以外のメンバーは既に鬼籍に入っているであった。時の経つのは速い。

 

 

 

こういうグループをもっといろいろ聴いてみたかったです。

Keith Jarrett『Personal Mountains』(ECM)

 

 

Personnel;

Jan Garbarek(ts, ss),

Keith Jarrett(p, perc),

Palle Danielsson(b),

Jon Christensen(drms)


Recorded at Kosei Nenkin Hall, Shinjuku,Tokyo in April 2, 1979

 

 

1970年代に活動していた、キース・ジャレットによる、いわゆる「ヨーロッパ・カルテット」による、1979年の日本ツアーから、新宿の厚生年金ホールでのライブが、なぜか、1989年になってから唐突に発売されたものです。


この年のライヴはキースにとって思い出深かったのか、コレまた思い出したように、4月16日の中野サンプラザでのライヴが『Sleeper』というタイトルでCD2枚組の大ボリュームで2012年に発売されました。


キースのライヴ盤はしばしばこういう事が多いですけども、その先駆けが本作と言えるでしょうか。


特にこのカルテットは結成も解散も宣言されていないですし、自ら「ヨーロピアン・カルテット」と名乗ったこともありません。

 

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若き日のキース。


コレに対をなす、「アメリカン・カルテット」も同じで、しかもこっちは厳密にいうと、編成が多少変わるので、カルテットとは言い難く、こちらも結成も解散も特にありません。


このカルテットは主にキース・ジャレットの曲をキース以外は、ECMに縁の深い北欧のジャズメン(北欧というのは、ECMの重要な要です)による、ワンホーンカルテットで演奏するというものです。


アメリカン〜」と比べてスタジオアルバムはわずか2枚と少なく、その代わりにライヴ盤が本作を加えて3枚あり、すべて1979年のライヴで、『Nude Ant』のみ、ほぼタイムリーに発売されてます。


聴かせどころは実はキースのピアノよりもヤン・ガルバレクの、クリスタルでできたサキソフォンから音が出ているような透明で冷気が伝わってくるサックスでして、キースはどちらかというと、バンマスに徹しているグループですね。

 

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ヤン・ガルバレクのサックスが聴かせどころです。


なので、キースのピアノを聴くという事に主眼のある人には、やや物足りないかもしれませんが、キースの作編曲能力、バンマスとしての能力の高さは、後にはあまり聴けなくなってしまうので、とても貴重です。


私はヨーロピアン・カルテットのスタジオ盤はそんなに面白く聴いた覚えがないんですけども、このライヴは実に素晴らしいですね。


一曲を長いと30分ほどかけて演奏するスタイルのコンセプトのようなので、当時はLPという媒体の限界もあり、スタジオではなかなか表現しにくいグループだったのかもしれません。


もともとガルバレクは当時の欧州のジャズメンによく見られる、コルトレイン・フォロワーとして、シーンに登場しましたが、北欧を訪れたドン・チェリージョージ・ラッセルとの交流により、アメリカのジャズの吸収よりも、自らのルーツに忠実な表現への意向していき、それが彼の現在までの作風の原点となりました。

 

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実は欧州や日本のジャズに多大な影響を与えている、ドン・チェリー


実は、キースは現在でこそモダンジャズの巨匠のようなポジションになってしまっていますが、70年代は、それぞれの民族的ルーツとジャズを積極的に混淆してくような動きにかなり積極的でして、それが彼の作編曲とも結びつき、アメリカ人を中心とした、今では「アメリカーナ」と呼ばれるようなジャズを追及するグループと、ドン・チェリーなどに感化された北欧ジャズメン達との、後にアンリ・テキシエなどが追及していくようなジャズを演奏するカルテットを同時進行的に行いながら、更にソロピアノも行うという、実に多面的で多層的なジャズメンでした。


それは、フリージャズが音楽的に転換し、世界各地で独自の発展を遂げていく時期と相関関係にあり、当時のキースははるかに「フリー」の住人でした。


作編曲中心のグループと言っても、ココで演奏される曲は実はスタジオ録音されたものではなく、すべて新曲で、つまり、当時、日本でこのライヴを見た人たちは初めて聴く曲だったはずです。


にもかかわらず、ココでのライヴは、ずいぶんこなれた演奏のように聴こえ、このカルテットの演奏能力の高さに唖然としてしまいます。


キースの曲は取り立てて北欧寄りに作曲しているわけではなく、当時のキースの鍵盤をこねくり回したようなメロディが際立つ、あのキース印の曲ですけども、北欧のジャズメンが演奏すると、コレほどまでにヒンヤリとした手触りになるのもなのか。と驚く次第です。

 

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パレ・ダニエルソン


ユニークなのは、ヤン・クリステンセンのドラムで、いわゆるシンバルを刻む事を基本とする、モダンジャズが確立したドラミングではなく、スネアなどの太鼓を基本とした、独自のドラミングで敢えて叩き、そこにガルバレクがコレまたソプラノサックスをあたかも民族楽器のように吹き、キースがピアノを弾かずにパーカッションでガルバレクを煽りまくる展開が「oasis」という曲の後半に出てくるのところが全体の白眉ではないかと思います。

 

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ヨン・クリステンセンは2020年に亡くなりました。ヨーロッパきっての名ドラマーでした。

 


キース・ジャレットの、ドン・チェリーへの解答のようなものにも思える大変な名演ですけども、コレは、ライヴで行った方が面白いですね。


コレほどのクオリティならば、すぐにアルバムとして発表しても良かった気がしないでもないですが。


スタンダードトリオしか聴いた事のない人には、是非ともオススメしたい傑作です。

 

 

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