Gary Burton & Keith Jarrett『Gary Burton & Keith Jarrett』(Atlantic)
personnel;
Gary Burton(vib), Keith Jarrett(p, el-p, ss),
Sam Brown(g),
Steve Swallow(el-b), Bill Goodwin(drms)
recorded at A&R studios, New York in July 23, 1970
キース・ジャレットという人は、知名度がものすごく、「スタンダード・トリオ」と呼ばれる録音が膨大にあるので、初心者が手を出しやすいジャズメンだと思うのですが、悪いことは言いませんから、ジャズ初心者はスタンダード・トリオから聴くのはやめた方がよいです。
彼のトリオは実はとても難しいです。
今やギャリー・ピーコックは亡くなり、キースも病気のため、演奏ができなくなってしまいましたが、ピアノ・トリオの一つの極点である事は今でも変わりません。
それは彼がこれまでに培ってきたありとあらゆるピアノのほとんどがこのトリオに込められていて、つまり、彼の多様で多彩な活動がこのトリオをキッカケにピタリと止まったのは、ソロ以外は全部ここでやっているという意味があるからなんです。
よって、スタンダード・トリオは彼が60-70年代までに培ってきたいろいろな活動を一通り聴いてからでないと、よくわかりません。
実際、私もスタンダード・トリオを聴いた時の掴みどころのなさたるや(笑)。
やっている事があまりにも高度すぎて、ジャズのリテラシーが相当低かった私には全くもってお手上げでした。
やはり、ある程度、彼のアルバムを聴いていって初めて、「なるほど、そういう事だったのか!」とリクツではなく、ちゃんとカラダで納得できるには、時間がかかりました。
キースというのは、なかなかにクセの強いピアニストでありまして、実は言うほど万人向けではないです。
実際、キースは身を捩らせ、唸り声を上げて演奏してます。
彼の持つメロディ感覚の耽溺感と、コレに伴って出させる、相当デカい彼の唸り声、誰にも予測不能な謎のメロディ展開は、拒否反応が出る人が出てきても不思議ではないです。
日本で、スタンダード・トリオのライヴがあると、お客さんがたくさん入ってましたけども、ホントに皆さん楽しいのですか?と疑いの目を向けたくなりましすが、それは余談として、そんな曲者のキースにも、入りやすい入門アルバムがいくつかあり、それが本作なのです。
タイトルからわかるように、実質的なリーダーはヴィヴラフォン奏者のギャリー・バートンでして、彼の音楽がまずはメインにあります。
バークリー音楽大学学長まで務めるギャリー・バートンは、ジャズにおける「アメリカーナ」のパイオニアの一人と言ってよいと思います。
キースはここではギャリー・バートンの曲想に合わせているわけですけども、この2人は実は資質が重なっておりまして、一般的なイメージ以上に相性がよいです。
というのも、初期のキースのピアノはカントリーやフォーク、ソウル、ロックの影響がものすごく濃厚で、それこそ、ボブ・ディランやザ・バンド、ジョニ・ミッチェル、ジェームス・テイラーあたりが好きな人にはとてもピンとくるような親しみやすい、メロディを弾いているんです。
それは、ギャリー・バートンにもそのまんまあてまるんですから、2人の共演はとてもピッタリくるんですね。
大都会の夜の音楽であるジャズが、彼らが演奏すると、アメリカの雄大な大平原に溶け込んでいくような、それこそ朝日が似合う音楽に変貌してしまいます。
当時、こういうスタンスのジャズはほとんどなかったので、アルバムが出た時はあまり注目されなかったと思いますけども、ほどなく、ECMという、「アンチ都会、アンチアメリカ」を標榜するドイツのレーベルが出現し、ここにキースやバートンは合流する事になるのですから、本作の意義は現在から考えるととても多いと思います。
とはいえ、そんな歴史的意義など考えなくても、このアルバムが時入門者にもある程度聴き込んだ人にも感銘を与える、いわば、隠れ名盤となっている点こそが更に重要です。
ここでのキースはすでにソロを取ると没入的ではあるのですが(それは彼の個性なので仕方がないです)、コンパクトにまとまっているのと、非常にソウルフルなのが好ましいです。
時にソプラノサックスを演奏しているのですが、コレがまたなかなかいい味を出していると思います。
キースはどうも苦手で。という方もコレを聴くとかなり見直すのではないでしょうか。
この元祖アメリカーナジャズの先駆けとも言える本作は、キース入門編としてもオススメできる逸品です。