mclean-chanceの「Love Cry」

はてなダイアリーで長年書いてきたブログを移籍させました。生暖かく見守りくださいませ。

彼を無視して現在のジャズを考える事は不可能です!

Paul Motian『Tribute』


personnel;

Carlos Ward(as),

Sam Brown(acoustic and electric guitar),

Paul Metzke(electric guitar),

Charlie Haden(b),

Paul Motian(drms, percs)


recorded at at Generation Sound Studios, New York City on May 1974


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2011年にモーシャンは亡くなりますが、ジャス史的には彼の重要性は寧ろ増していると思います。


発売当時、このアルバムがジャズファンからどのように受け止められたのか、私には分かりませんけども、少なくとも、ビル・エヴァンズの大名盤『Waltz for Debby』を聴いていた人たちと、本作はほとんど何も結びついていないかもしれませんね。


しかし、ポール・モーシャンは、よくよく考えてみると、キース・ジャレットの初期のトリオのメンバーでありますし、そこから発展した、アメリカン・カルテットのメンバーなんですよね。


本作のベイシストは、チャーリー・ヘイデンであり、そう考えると、キースを抜いて出来上がった、「アメリカン・クインテット」とも言える作品です。


カルロス・ワードは、カーラ・ブレイドン・チェリー、そして、アブドゥラー・イブラヒラムらとの共演のあるミュージシャンであり、しかも、アメリカン・カルテットにおけるデューイ・レッドマンと同じく、テクニシャンというよりも、「自分の声」を持つサックス奏者ですね。

 

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1960年代はフリージャズでの活動が中心だった、カルロス・ワード。


そういう点でキースと似てます。


しかし、キースと大きく異なるのは、ギター2名入れている事です。


その1人は、アメリカン・カルテットの演奏でゲストとして招いている、サム・ブラウンですよね(『Gary Burton & Keith Jarrett』にも参加しています)。

 

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サム・ブラウンは1977年に若くして亡くなっています。


このギターを加入させる事への執着は、実はモーシャンのリーダー作で一貫している事でして、ここから、ベン・モンダーやカート・ローゼルウィンケルという、現代のジャズギタリストが輩出していることからもわかります。

 

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今や、現役最高峰のギタリストの1人となったローゼンウィンケルも、モーシャンのバンド出身なのです!


また、ジョー・ロヴァーノ、ビル・フリゼールとの変則トリオのアルバムを断続的に発表してもいます。

 

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フリゼールの持つ浮遊感とモーシャンの音楽性は非常に親和性が高いです。


ですので、この少々変則的な編成は、実は思いつきなのではなく、彼がその後探究していくジャズ(と最早呼ぶべきなのか定かではないですけど)の初期の録音といえます。


それは、全5曲のうち、3曲がモーシャン自身の作曲である事からもわかります(残りはオーネット・コールマンチャーリー・ヘイデン)。


モーシャンがどの時点から本作のような音楽を志向するようになったのかはよくわかりませんが、彼の周囲にいた、キース・ジャレットチャーリー・ヘイデンドン・チェリーカーラ・ブレイという人々を並べてみると、彼ら彼女らの志向する、現在、アメリカーナと言われる音楽の影響をかなり受けていた事は容易に想像がつきます(また、影響も与えたのだと想像されます)。


つまり、モーシャンは、「なんだかコッチの方が勢いがあるから行ってみよう」という安易な考えで飛びついたのではないのだと思います。


それは、本作での演奏が、キースとのカルテットの音楽とも同じ地平を持ちながらも、キースとはまた異なるサウンドを作っていきたい事の表明でもあったんでしょうね。


そのどこか全体を俯瞰したような浮遊感を持ったサウンドは、ビル・フリゼールブライアン・ブレイドのバンド、「フェローシップ」の先駆にも思えます(フェローシップにもギタリストが2人いますね)。

 

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ブライアン・ブレイドのバンド、「フェローシップ」が追及するサウンドの前提には、モーシャンやフリゼールがある事は間違いないでしょう。


そして、それは生涯にわたって追及する事となり、そこから多くの優れたミュージシャンを輩出する事にもなったという点は、非常に重要な事実だと思います。


その意味で、現代のジャズを考える上でも絶対に無視する事のできない作品です。

 

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エリントンvol.21です!

エリントンを聴くvol.21 黄金の日日 ウェブスター=ブラントン時代 前編

 

イベントを開催していたお店が諸事情により閉店となってしまうなどなど、継続困難となっておりましたが、2024年より、また、偶数月開催が可能となりました!

 

場所は高円寺北口から歩いて約5分のところにある(座・高円寺の近くです。JIROKICHIとかリイド社がある方ですね)、「高円寺三角地帯」(原稿執筆カフェ等で注目されていますね)で行います。

 

音響機材が完備してますので、これまでよりも遥かにクオリティの高い音質でイベントができるようになります!

 

とうとう、エリントン楽団の1つのピークと言ってよい、作編曲家ビリー・ストレイホーン、ベイシストのジミー・ブラントン、テナーサックスのベン・ウェブスターが加入していた時期の録音を中心に聴いていきたいと思います。

 

またしても、名演が多く(笑)前後編に分けて行いますので、宜しくお願いします。

 

これまでの20回来てない方は、いきなり第二の全盛期から聴くことができる、大変お得な出会いとなりますので、乞うご期待です!

 

エリントンを聴くvol.21

2024.2.19(月) 

高円寺三角地帯

杉並区高円寺北2-1-24 村田ビル1階
最寄り駅:JR高円寺駅(北口から右折。
高架に沿って中野方面に徒歩5分)
open 19:30
start 20:00-22:30
料金1500yen+1drink(支払いはキャッシュレスのみです!)

https://koenji-sankakuchitai.blog.jp/archives/23352508.html

 

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結果として現在のジャズと合流してしまった、キースの初期作品!

Keath Jarrett『Restration Ruin』(vortex)

 


personnel;

Keath Jarrett(vo,ss, recorder,harmonica, p,g,b,drms, tambourine,sistrum, org),

unknown string quartet


recorded at Atlantic Studios, New York,

March 12, 1968

 


遺跡の修復。というタイトルのキースのソロ第2作目ですが、パーソネルをご覧になってわかるように、ストリングス(クレジットには何も記載されていませんが、明らかに聞こえます)以外はすべてキースが演奏し、オーバーダビングして作成されたものであります。

 

ジャズファン、もしくはキースのファンの方でもコレを聴いた事のある方はとても少ないのではないかと思います。


本作を聴いて驚くのは、まだ、短期間のジャズ・メセンジャーズの在籍とチャールズ・ロイド・カルテットのメンバーであるくらいしかキャリアのないキースが、当時、ジャズアルバムとして認識されるのであろうか。というアルバムの制作と発売が許されていたという事です。


1968年前後というのは、ある意味、レコード会社はやりたい放題な時期であり、キャプテン・ビーフハートアルバート・アイラーのような、およそ商業ベイスに乗るとは思えないようなレコードがかなり出ておりました。


それだけ、音楽産業の担い手が若く、しかも、ロックの隆盛がそういう無茶を促進していた側面は間違いなくあり、キースの初期のキャリアはそういう時代に形成されていた事は、とても重要です。

 

キースが前の世代と明らかに異なるのは、この1960年代のロックの隆盛を「突然イギリスからやってきた災厄」として捉えるのではなく(ハードバップ全盛期の世代の、ロックに対する呪詛とも思える発言はものすごいものがありますよね)、「このムーヴメントにライドオンしたい」と思っている点でしょうね。


後の、スタンダード・トリオ(必ずしも、スタンダードのみを演奏していたわけでもなく、当人たちはこの名称を一度も使った事はないのですが)のみを聴いている方には、とりわけ本作は奇異に見えるかもしれませんが、キースの1960-70年代のキャリアを俯瞰すると、フォークやロック、ゴスペルと言った音楽からの影響をかなり明確に表明しており、これらが彼のオリジナリティになっていると思います。


とりわけ、本作はモロにボブ・ディランに影響を受けた、キースの決してうまいとは言えない歌唱やピアノ以外の演奏を多重録音を行っていて(録音日が1日と書いてあるんですが、ホントなのでしょうか?どう考えても、数日はかかると思うのですが…)、当時、このアルバムを聴いた人は、どう受け止めていいのかわからなかったのではないでしょうか。

 

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キースがディランの影響を受けていた事は、再確認したいですね。

 


しかし、このアルバムにこそ、キースの偽らざる本音とその後の彼のオリジナリティがかなりの純度の高さで提示されていると私は考えます。


実はキースはソプラノ・サックスと様々なパーカッションの演奏を1970年代のアメリカン・カルテットやヨーロピアン・カルテットで行い、彼の最初のトリオと言える、チャーリー・ヘイデン、ポール・モーションとの演奏でも実はピアノを弾かずに上記の楽器の演奏を行っていました。

 

キースの独特のうめき声を「ヴォーカル」ととらえれば、キースは終始、ピアノが滅法うまい、シンガー&ソングライターであったと言えなくもないですね(笑)


よって、ここでの多重録音で演奏される楽器群は、キースにとってはさほど突飛なものではなく、むしろ、彼のアタマの中で鳴っている音を忠実に再現するには、このような持ち替えが不可欠であったと思います。

 

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キースの歌の延長線上にあったソプラノ・サックス。


ココで、多重録音を敢行しているのは、キース自身の曲想を理解できるミュージシャンが彼の周囲にいなかったためであるのが大きいのでしょう、やむなく自分で演奏するしかなかったのではないと思われます。


次第に、ピアノ専従(と奇声)となったのは、彼の曲想を理解するミュージシャンにで会う事ができ、グループでそれを表現できるようになったからなのであり、その本質が変わっていった。という事ではないと思います。


当時、キースと同じような考えを持ったミュージシャンはまだ多くなかったですが、ギャリー・バートンは間違いなく同じ考えを持っており、この2人がともに同じ頃にECMからアルバムを発表するようになるのは、ある意味、偶然ではないのでしょう。

 

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コレぞ、キースとバートンの隠れ傑作です!


結局としてできたのは、当時の基準で言えば、ほぼシンガー&ソングライターの作品と言ってよく、およそ、ジャズとして評価できるものではなかったと思いますが、実はベッカ・スティーヴンスやグレッチェン・パーラト、ノーラ・ジョーンズと言ったヴォーカリストたちが21世紀になって続々と登場しており、ジャズの境界線をかなり曖昧にしていく、そのあり方は、実はキースと同じ地平にあると思います。

 

キースがどうしても作りたくてしょうがなかったアルバムにはものすごい射程距離があったんですね。

 

こういうのが「天才の所業」なのでしょう。


このアルバムからキースを聴くことは決してオススメしませんが、ある程度キースの一通りの傾向性のアルバムを聴いた上で聴くと、納得のアルバムかと思います。

 

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イスラエル・ジャズの持つ多様性を見事に表現した快作!

Omer Avital『New Song』(Motéma)

 

personnel;

Avishai Cohen(tp), Joel Frahm(ts),

Yonathan Avishai(p), Omer Abital(b),

Daniel Freedman(drms)

recorded at Sequenza Studio, Montreuil, France ,July 2&3, 2013

 


コレは現在ではよく知られている事ですが、アメリカのジャズで活躍している「白人ジャズメン」と呼ばれる人の多くが、実はまだユダヤアメリカ人で事はよく知られている事です。


有名な人を挙げると、ベニー・グッドマン、ポール・デズモンド、リー・コニッツスタン・ゲッツスティーヴ・レイシー、デイヴ・リーブマン、スティーヴ・グロスマン、ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカージョン・ゾーン、デイヴ・ダグラス、グレッグ・コーエン、ジョーイ・バロン、ユリ・ケインなどなど、やはり結構な数がいます。


しかし、近年は、イスラエル出身のジャズミュージシャンがアメリカを拠点として活躍し、とても優れたアルバムを出していますね。


最初に私の耳に入ってきたのが、なんといっても、トランペッターのアヴィシャイ・コーエンです。

 

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ジャズ界きってのヒゲをたくわえる、アヴィシャイ・コーエン。


「フレッシュ・サウンド・ニュー・タレント・シリーズ」から出た、『The Trumpet Player』は、なんと、トランペット、ベイス、ドラムズという、とんでもない編成で(テナーが3曲のみゲスト参加)、その驚異的な演奏で、イスラエルからとんでもない逸材が出てきたと思っていたのですが、それから、ベイシストのアヴィシャイ・コーエン(全くの別人です。同じくイスラエル出身でアメリカを拠点としてます)など、次から次へと決して人口の多い国ではない(2023年時点で約929万人)、特に周辺がジャズが盛んであるとも言えない国から、陸続と優れたジャズミュージシャンが出現してきました。


本作はそんなアルバムの1枚で、ベイシストのオメル・アヴィタル(アヴィタルは、父親がモロッコ系、母親がイエメン系だそうです)の作編曲能力の素晴らしさが大いに発揮された作品です。

 

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ユダヤ国家」として知られるイスラエルですが、実はアラブ系の人が結構住んでいる事実を見逃す事はできません。

 


正直、このアルバムを購入した動機は、やはり、トランペットのアヴィシャイが聴きたくて買ったんですけども、このアルバムの聴きどころは、まずは、ジョエル・フラムのテナーですね。

 

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ジョエル・フラム。もうスッカリおじさんになってしまいましたね。


アヴィシャイの『The Trumpet Player』にゲスト参加していた時は、それほど印象に残りませんでしたが、ここでの彼は実に味のあるベテランに成長していて、決して派手さはありませんが、実にいいソロを取っています。


大変な努力の人です。


コレに対するアヴィシャイは、まるでアート・ファーマーを思わせるような端正な演奏に終始し、あたかもジョエル・フラムをうまく引き立てる事に徹しているかのようです。


2人とも圧倒的なソロで聴き手をノックアウトするような演奏は敢えて避け、オメル・アヴィタルの作る世界を具現化する事に貢献していると思います。


さて、そのアヴィタルですが、彼もベイスプレイで聴き手を圧倒する事はなく、完全に黒子に徹していますね。


彼の貢献は演奏以上に、アレンジに出ていると思います。


それは、ドラムの演奏です。


ダニエル・フリードマンのドラムの演奏は、およそジャズの一般的な奏法を敢えて用いていません。


コレは、アヴィタルがフリードマンに「このように叩いて欲しい」と指示を出しているものと思います。


アヴィタルは、アメリカに渡って演奏活動をしてから、一度、イスラエルに戻って、改めて音楽を学んでいるんですね。


その結果、できたのがこのアルバムなんです。

 

恐らくは、自身のルーツである、モロッコなどのアラブ世界の音楽を研究していたのではないでしょうか。


それは、ジャズとは相性がいいとは思えないくらい、ベタなメロディを多用した作曲、そして、アフリカのポップスに見られるようなドラミングに顕著に表れていますね。


こういうものの先駆が、ECMの諸作なのでしょうけども、アヴィタルたちはもっとポップな形で提示しているのが、やはり新しいです。


それはテーマとアドリブに著しい落差をつけないように演奏している点にも出ています。


このように、イスラエルの文化は多様性を大切にしている事がわかるのですが、なぜ、ガザ地区への残酷な仕打ちを永年にわたって行い続けているのか、理解に苦しみます。


閑話休題


本作は、イスラエルのジャズの水準の高さを証明するものであり、ジャズ初心者にも長年聴き続けている方にもオススメできるポップな快作です。

 

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こんな才能はもう出てこないでしょうね。。

Michel Petricciani『One Night in Karlsruhe』(SWR)


personnel;

Michel Petrucciani(p), Gary Peacock(b),

Roy Haynes(drms)


recorded at Begegnungszentrum “JUBEZ”, Karlsruhe, Germany, July 7, 1988


1980-90年代のジャズの最高の才能は誰なのか?にはいろんな議論があるかと思いますが、ペトルチアーニを除いて考える事はほぼ不可能でしょう。


ペトルチアーニの、明晰かつ強靭なタッチから繰り出される迷いのないピアノは、ジャズシーンに出てきた時から既に完成されており、しかも、それが先天的な骨の病気のために100cmにも満たない身体から繰り出されるというギャップは今もって驚きという他ありませんが、更に驚くのは、ベテランである、ギャリー・ピーコクとロイ・ヘインズの演奏がペトルチアーニの演奏に充分に答えきれていないという事です。

 

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写真からわかるように両手は成人男性の大きさに成長したため、ピアノを弾く事ができました。

 


ペトルチアーニの自作曲「She Did It Again」のペトルチアーニの自由闊達な弾きっぷりに、なんと、この2人が引っ張られるように演奏しているんですね。


コレは物理的に速く弾いているとか、そういう単純な事ではないものを感じざるを得ません。


ピーコク、ヘインズはモダンジャズに於ける大変な手練である事は、ジャズファンならば、誰もが知っているわけですが(ヘインズは、かの大天才、チャーリー・パーカーとの共演歴すらある、既に大ベテランです)、そんな2人が食らいついていくだけで精一杯なのです。

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もう相当なキャリアをこの時点で持っている2人を置き去りしてしまうというのは、脅威という他ありません。


この時期、キース・ジャレットとトリオを組んで、鉄壁な演奏を繰り広げていたはずのピーコクをこれほどまでに凡庸に感じた事はありません。


要するに、ペトルチアーニの才能が余りにも頭抜けすぎているんですね。


その意味で、本作はペトルチアーニの途轍もなさを記録したライヴでもあるのですが、それは同時に、ベイスとドラムズの演奏が彼の音楽にうまくマッチできてない事が冷酷に記録されているという事でもあるんです。


スタンダードを演奏している時はバランスが取れますけども、面白さが相当減衰してしまっていますね。


ペトルチアーニの本領はオリジナル曲であるようです。


ところで、クラシックでこんな暴力的な録音というのは、多分、あり得ないでしょうし、恐らく商品として販売される事はないでしょう。


しかし、ジャズというのは、しばしばこういうものすら商品にしてしまうところがあります。


それはジャズは、演奏というものを加点法で考えているからです。

 

多少ヨタったり、まずいところがあっても、ソロでいい演奏が入っていたら、それを積極的に評価しますね。


ある意味、ペトルチアーニの才気が走りすぎているのですが、むしろ、それが演奏全体をスリリングにおもしろくしていて、それがとりわけ、彼の自作曲で全開になるんです。


本作は、ジャズのもつ、些か暴力な側面をを記録した素晴らしいアルバムです。


ペトルチアーニのスタイルは、モダンジャズのオーソドックスなスタイルを踏襲したものですが、今後、このようなスタイルでこれほどの才能の煌めきを演奏から放出するピアニストは当分登場しないと思います。


ジャケットが何とも愛想がなさすぎ、また、ナクソスという、ジャズをそれほど専門にしているとは言い難いレーベルから発売されているので、なかなか手が出ませんが、ペトルチアーニの凄まじい才気が記録されたライヴ盤としてオススメします。

 

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ペトルチアーニは1999年に36歳の若さで病死しました。もともと長生きできない事は本人も自覚していたようです。

 

 

 

オルガン好きには堪らないトリオです!

Delvon Lamarr Organ Trio『I Told You So』(Colemine)

 


personnel;

Delvon Lamarr(org),

Jimmy James(g),

Grant Schroff(drms)

 

recorded at Blue Mallard Recording Studio, Seattle, Washibgton, 2020?


まずもって驚いたのは、ジャズとして発売されたアルバムにも関わらず、いつ録音されたのが全く書いていないという事ですね。

 

コレは別にジャズでなくても、現在ではかなり珍しいですね。

 

発売が2021年の1月なので、録音は2020年に行われたものと推定されます。

 

編成を見て分かるように、1960年代に大量に作られた、オルガン、ギター、ドラムズのトリオ(ベイスはオルガンが担当するので、いないんですね)をそのまま継承したものですが、なんと、その音楽性も1960年代のソウルやR&Bの影響を正直に表明したトリオです。

 

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デルヴォン・ラマー(1978年、シアトル生まれ)のオルガンは決して弾きまくりではなく、アンサンブルを重視したものです。

 

リーダーのデルヴォン・ラマー以外のメンバーが一定せず、かなり頻繁に変わりますが、音楽性そのものは特に大きな変化はないようですので、あくまでもこのトリオの音楽性を決定しているのはラマーであるようです。

 

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ギターのジミー・ジェイムズとドラムズのグラント・シュロフとのコンビネーションは抜群ですが、もうメンバーではないです。


さて。


本作は、例えば、Booker T & The MG’sや、Metersといったオルガンが入ったインストバンドが好きな人が聴いて、キライになるのはほぼ不可能な音楽だと思います。


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白人と黒人の混成バンドだったのも画期的だった、MGズは素晴らしいインストバンドでした。そのままスタックスのハウスバンドでもありましたね。


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ミーターズのリズムは本当に画期的でした!

 


しかも、60-70年代のマナーにものすごく忠実で、何も知らなかったら、当時の音源と勘違いする人がいてもおかしくはないでしょう。


しかし、よくよく聴くと、ミュージシャンのテクニックがまるで違いますし、音楽を演奏する事の解像度が遥かに高く、要するに、一見レトロ志向に見せかけつつ、その実はかなり今日的な演奏です。


コレはジャズなのか?と言われますと、なかなか難しい問題があるのは確かだと思います。


ジャスに寄った演奏はほとんどせず、編成から伺えるような、ジミー・スミスのトリオの影響はほぼ感じませんし、むしろ、非常に高度なテクニックに裏打ちされたR&Bインストバンドと言った方がいいのかもしれません

 

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ブルーノートから大量にアルバムを発表したジミー・スミスのオルガンの演奏は、バド・パウエルをオルガンに置き換えたようなスタイルでした。


まあ、そういうかつてよく行われたうるさい議論よりも、このベタと言って良いくらいの非常に計算された真っ黒い音楽を聴いて、ブラックミュージックが好きな人で血が騒がない人は皆無でしょうね。


こういう音楽が何という事もなくジャズというフィールドでも愛好されるようになったというのは、私は良い時代になったと思いますし、ハッキリ言って愛聴盤ですね、コレは(笑)


こんなにシンプルに演奏しているのに、単調にならないというのは、並大抵の事ではないと思います。


コンビネーションは完璧なので、このメンバーでそのまま活動すればいいと思うのですが、現時点でもうベイス、ドラムズともに脱退しておりますね。


この辺はよくわかりませんが。


ジワジワと来る傑作。

 

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ブルーノートを意識したようなデザインもいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作の聴きどころは、カーラ・ブレイの作曲、アレンジです!

Gary Burton Quartet with Orchestra『A Genuine Tong Funeral』(RCA)

 

personnel;
Gary Burton(vib), Larry Coryell(g),

Steve Swallow(b),

Lonesome Dragon(Bob Moses, drms),


Carla Bley(p,org,comp, arr, cond),

Mike Mantler(tp),

Jimmy Knepper(tb, btb),

Howard Johnson(tuba, bs),

Steve Lacy(ss), Gato Barbieri(ts),


recorded at RCA’s Studio B, New York City, 1968?

 


カーラ・ブレイ作曲の「歌詞のないオペラ」を、ギャリー・バートン・カルテットと、カーラ・ブレイ・オーケストラのリードとブラス・セクションを加えて演奏するという野心作。

 

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教育者としても大変な功績のある、ギャリー・バートンのヴィブラフォンの演奏はこれまでの演奏スタイルを一新するものでした。


ドラムのボブ・モーゼスの表記が「ロンサム・ドラゴン」になっているのは、カーラが、非常に細かく、どこでソロを取るのかを決める事にとても不満だったためであるようです。

 

当時のジャズは、やはり、腕に覚えのある人々が丁々発止で競う側面が強いので、実はモーゼスのような考え方のミュージシャンがむしろ普通であり、口に出しては言わずともカーラの手法に完全に納得して参加していなかったミュージシャンは他にもいたのかもしれません。


バートンとカーラがどのように出会ったのかの経緯はわかりませんが、もしかすると、カルテットのメンバーである、ラリー・コリエルが、カーラ・ブレイが1968年から録音を始めている、大作『Escalator over The Hill』に参加しており、彼からカーラの事を聴いて、共演したくなったのかもしれません。

 

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現在のジャズに与えた影響は計り知れない、カーラ・ブレイ。2023年に惜しくも亡くなりました。

 


若くして完成されたテクニックを持つバートンは、最早、その興味がジャズを飛び越えており、フリージャズのコミュニティに所属しつつ、「フリージャズの再編成」を考えていたカーラには、遅かれ早かれ興味を持ったと思いますが、この作品のリーダーは、明らかにカーラであり、バートンはその中のソリストの1人として機能してるアルバムです。


このような性質のアルバムなので、ある部分を抜き出して聴くというものではなく、アルバム全部を聴き通して評価すべきものです。


よって、バートンのヴィブラフォンを堪能したい。という方には第一にオススメするアルバムではないですけども、カーラ・ブレイの考える、「サウンドとしてのジャズの再構築」にバートンはかなり共感しており、その上でカーラの作品に取り組んでいるのがよくわかります。


私の好みは圧倒的にB面でして、フリージャズの持つ緊張感とカーラのメロディセンスが見事に融合した、濃密さがよく出ている名演で、恐らくは、同時期にコツコツと録音していた、カーラの大作、『Escalator 〜』を聴くたほ導入作品としても、大変重要です。


カーラやバートンの試みの新しさは、現代のジャズに於いては、狭間美帆などによって既に、ジャズを演奏する上での常識になってしまっているため、わかりにくいかもしれませんが、それは彼ら彼女らの狙いがそれだけ的を得たものであったからこそなのですね。

 

そこに、スティーヴ・レイシー、ガート・バルビエリと言った、唯一無比のソロイストが参加しているからこそ、カーラの作編曲が活きてくるのは、いうまでもありません。

 

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『Escalator over The Hill』の先行作品としても重要です!