mclean-chanceの「Love Cry」

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結果として現在のジャズと合流してしまった、キースの初期作品!

Keath Jarrett『Restration Ruin』(vortex)

 


personnel;

Keath Jarrett(vo,ss, recorder,harmonica, p,g,b,drms, tambourine,sistrum, org),

unknown string quartet


recorded at Atlantic Studios, New York,

March 12, 1968

 


遺跡の修復。というタイトルのキースのソロ第2作目ですが、パーソネルをご覧になってわかるように、ストリングス(クレジットには何も記載されていませんが、明らかに聞こえます)以外はすべてキースが演奏し、オーバーダビングして作成されたものであります。

 

ジャズファン、もしくはキースのファンの方でもコレを聴いた事のある方はとても少ないのではないかと思います。


本作を聴いて驚くのは、まだ、短期間のジャズ・メセンジャーズの在籍とチャールズ・ロイド・カルテットのメンバーであるくらいしかキャリアのないキースが、当時、ジャズアルバムとして認識されるのであろうか。というアルバムの制作と発売が許されていたという事です。


1968年前後というのは、ある意味、レコード会社はやりたい放題な時期であり、キャプテン・ビーフハートアルバート・アイラーのような、およそ商業ベイスに乗るとは思えないようなレコードがかなり出ておりました。


それだけ、音楽産業の担い手が若く、しかも、ロックの隆盛がそういう無茶を促進していた側面は間違いなくあり、キースの初期のキャリアはそういう時代に形成されていた事は、とても重要です。

 

キースが前の世代と明らかに異なるのは、この1960年代のロックの隆盛を「突然イギリスからやってきた災厄」として捉えるのではなく(ハードバップ全盛期の世代の、ロックに対する呪詛とも思える発言はものすごいものがありますよね)、「このムーヴメントにライドオンしたい」と思っている点でしょうね。


後の、スタンダード・トリオ(必ずしも、スタンダードのみを演奏していたわけでもなく、当人たちはこの名称を一度も使った事はないのですが)のみを聴いている方には、とりわけ本作は奇異に見えるかもしれませんが、キースの1960-70年代のキャリアを俯瞰すると、フォークやロック、ゴスペルと言った音楽からの影響をかなり明確に表明しており、これらが彼のオリジナリティになっていると思います。


とりわけ、本作はモロにボブ・ディランに影響を受けた、キースの決してうまいとは言えない歌唱やピアノ以外の演奏を多重録音を行っていて(録音日が1日と書いてあるんですが、ホントなのでしょうか?どう考えても、数日はかかると思うのですが…)、当時、このアルバムを聴いた人は、どう受け止めていいのかわからなかったのではないでしょうか。

 

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キースがディランの影響を受けていた事は、再確認したいですね。

 


しかし、このアルバムにこそ、キースの偽らざる本音とその後の彼のオリジナリティがかなりの純度の高さで提示されていると私は考えます。


実はキースはソプラノ・サックスと様々なパーカッションの演奏を1970年代のアメリカン・カルテットやヨーロピアン・カルテットで行い、彼の最初のトリオと言える、チャーリー・ヘイデン、ポール・モーションとの演奏でも実はピアノを弾かずに上記の楽器の演奏を行っていました。

 

キースの独特のうめき声を「ヴォーカル」ととらえれば、キースは終始、ピアノが滅法うまい、シンガー&ソングライターであったと言えなくもないですね(笑)


よって、ここでの多重録音で演奏される楽器群は、キースにとってはさほど突飛なものではなく、むしろ、彼のアタマの中で鳴っている音を忠実に再現するには、このような持ち替えが不可欠であったと思います。

 

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キースの歌の延長線上にあったソプラノ・サックス。


ココで、多重録音を敢行しているのは、キース自身の曲想を理解できるミュージシャンが彼の周囲にいなかったためであるのが大きいのでしょう、やむなく自分で演奏するしかなかったのではないと思われます。


次第に、ピアノ専従(と奇声)となったのは、彼の曲想を理解するミュージシャンにで会う事ができ、グループでそれを表現できるようになったからなのであり、その本質が変わっていった。という事ではないと思います。


当時、キースと同じような考えを持ったミュージシャンはまだ多くなかったですが、ギャリー・バートンは間違いなく同じ考えを持っており、この2人がともに同じ頃にECMからアルバムを発表するようになるのは、ある意味、偶然ではないのでしょう。

 

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コレぞ、キースとバートンの隠れ傑作です!


結局としてできたのは、当時の基準で言えば、ほぼシンガー&ソングライターの作品と言ってよく、およそ、ジャズとして評価できるものではなかったと思いますが、実はベッカ・スティーヴンスやグレッチェン・パーラト、ノーラ・ジョーンズと言ったヴォーカリストたちが21世紀になって続々と登場しており、ジャズの境界線をかなり曖昧にしていく、そのあり方は、実はキースと同じ地平にあると思います。

 

キースがどうしても作りたくてしょうがなかったアルバムにはものすごい射程距離があったんですね。

 

こういうのが「天才の所業」なのでしょう。


このアルバムからキースを聴くことは決してオススメしませんが、ある程度キースの一通りの傾向性のアルバムを聴いた上で聴くと、納得のアルバムかと思います。

 

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